2017年8月18日金曜日

理解するための「国語ゼミ」?


 『理解するってどういうこと?』は「でも、誰も、わかるってどういうことか教えてくれたことはなかったわ」という小学校2年生の少女ジャミカ言葉に答えようとして書かれた本です。ジャミカのこの言葉に答えようとして、エリンさんは「わかるってどういうことなのでしょう?」という質問を発するのですが、その答えは一言で済むものではありませんでした。質問するということが、『理解するってどういうこと?』をエリンさんが書き進める原動力になっているのではないか。そう思えるぐらいに、この本にはいい質問がたくさん示されています。

 野矢茂樹著『大人のための国語ゼミ』(山川出版社、2017年)にも「的確な質問をする」という章があります。古代オリンピックについて数行の短い文章を読んで「10個以上質問を考えなさい」というエクササイズがあります。野矢さんは、10個思いつかなかった人は質問づくりの「初心者」だと言い、26個もの質問を例示するのです。読者としては求められた数の2倍半の質問が挙げられて圧倒されるのですが、野矢さんの挙げる26の質問をよく観察してみると、その半数近くが、素材として提供された短い文章冒頭の「古代オリンピックは、競争に対するギリシア人の異様な熱意が生み出した祭典である。」という一文を、疑問詞(5W1H)を使って変形させたものであることがわかります。「古代オリンピック」一語だけであっても、少なくとも6通りの質問が考えられるのです。

 このように、質問をすることは、肯定文を疑問文に変えることになるですが、一文のかたちを変えるだけにとどまりません(「古代オリンピックとは何か?」という問いと「古代オリンピックに参加したのは誰か?」という問いとでは、答えがずいぶん違ってきます。そうういう問答を繰り返すことで、「古代オリンピック」を取り巻く状況や背景について調べてみたいことがたくさんあらわれるのです。質問を考えるということは、一つの事象を「いろいろ」な角度から見つめて考える、ということなのです。当たり前のことを言っているようですが、ここのところが肝心で、質問をするということは、質問の 対象となっているモノや言葉や作品を多角的に吟味検討して、その価値を言葉にしてあらわすことになるのです。その態度は、野矢さんの本では「的確な質問をする」の次の章になっている「反論する」にもつながっています。そして、質問をすることで、質問の対象についてそれまで意識できていなかったことを発見することができるようになります。対象を一歩も二歩も踏み込んで理解しようとすることになるのです。

 このことは『大人のための国語ゼミ』の最初の章が「相手のことを考える」であるということとも関わってきます。野矢さんは「相手のことを考え、分かってもらえるような言葉に言い換えたり説明を補ったりする力」は「国語力」なので、「相手のことを考えて分かってもらおうとすること」が「国語力を鍛えることになる」と言うのです。そして「国語力が鍛えられる」ことで「相手のことを考えに入れて書いたり話したりできるようになる」と言います(『大人のための国語ゼミ』29ページ)。

 このように、野矢さんがこの本で言っているのは、学校教科としての「国語」に詳しくなれということでは決してありません。むしろ人やモノや社会世界を「理解する」ためには、そのための「方法」を学んでいく必要があると言っているのですが、それは、ジャミカの言葉に、ジャミカにもわかるような言葉で応えようとして『理解するってどういうこと?』を書いたエリンさんと同じです。

★そうそう、『大人のための国語ゼミ』「7 的確な質問をする」の210ページに、吉田さんが訳したロスステインたちの『たった一つを変えるだけ』(新評論)が紹介されていました!「私はこの本を読んで、教師としての自分のこれまでのあり方がひっくり返される思いがした」と、野矢さんの賞賛の言葉があります。

2017年8月11日金曜日

「一人読み」が可能にする7つの特徴


Who’s Doing the Work?(いったい誰が仕事をしているのか?)』というタイトルの本をしばらく前に読みました。★この本は、自立した読み手を育てるためには「責任の移行」を意識した取り組みが不可欠だという考えの基に書かれた本です。「責任の移行」については、
http://wwletter.blogspot.jp/2017/07/ww.html の2つ目の図や、『「読む力」はこうしてつける』の67ページですでに紹介してきました。★★
この本の「はじめに」と「まえがき」には、次のようなことが書かれていました(数字は、ページ数)

ix  コーチがいるときにはできて、いないときにはできないのでは、コーチングの意味はない。選手(子ども)自身が自分で直せるようにサポートするのがコーチの役割。その意味で、「責任の移行」は大切。最終段階では、コーチは何も言わず、「あなたができること/試せることは何ですか?」と返すだけ。自立を促すだけ。
自分で問題解決ができ、修正/改善でき、自分で考えられるようにする! ~ 日本の読みの指導は、ここを目指して行われているでしょうか?
  最初は教師である私に仕事をさせてもらって、その後はフィードバックを中心に提供します。

まえがき  developing agentive readers ~ 主体的な読み手を育てる

2 電気を流され続けた犬は、扉が開いていても、逃げなくなってしまう。
  Learned helplessness(学習性無力感) = 選択が与えられていないことに慣れてしまって、他の可能性を考えられなくなってしまう。 ~ これって、教師をはじめ、生徒も!! 多くの人が日本で体験していること。社会全体でも?

3 足場は取ることを前提にした足場のはずなのに、いつまでもそこにある足場に転換してしまっている!
  指示されないと動かない状況を、自分たちがつくっている。当人が判断して(選択して)動くのではなく。それでは、自立した家庭人(学び手)にはならない。常に指示待ち。
4 つまり、ownership/agencyがない状態!

 「agentive readers」という発想や、教育の中に「ownership/agency」という考えが存在しない状態が続いている気がします。(そもそも、それらがないので、これらを訳せない状態も続いています。)

 この後、第1章 ゴールを明確にする
第2章 読み聞かせ ~ 読むことを学ぶ理由を生徒たちに提供する
     第3章 いっしょ読みShared Reading 読み聞かせとガイド読みの間
     第4章 ガイド読み: 教師の観察の下に練習する
と紹介された後に、今回、主に紹介する
第5章 一人読み ~ 読むことを好きになる読み方

があります。日本で国語の時間には残念ながら「一人読み」をするという発想はありません! それは、「読むことを好きになる読み方」を排除していることを意味してしまいます。それに比べて、リーディング・ワークショップ(読書家の時間)は「一人読み」を中心に据えた教え方・学び方です。どおりで、みんなが読むことが好きになり、かつ読む力をつけるわけです!

104 ダンスの例えだと、一人読みはリサイタル
読み聞かせは見本を見る。いっしょ読みは学ぶ。ガイド読みは練習する/リハーサル。 ~ このように「責任の移行」モデルの下でしっかり段階的に取り組まずに、いったい日本の国語教育は何を目的に、何をやり続けているのでしょうか?

106 一人ひとりの子どもが、ぴったり自分に合った本を読むのが一人読み。個別カンファランスの役割の大きさ!

108 一人読みこそが、読みの指導の核。 ~ 悲しいかな、この発想がまったく欠けている日本の国語教育。教師ががんばることが教えることだと錯覚しています。子どもたちががんばる/出来るようになるのではなく。

108~110 一人読みを特徴づけるもの ~ 以下の7つの特徴が、今回の書き込みの最大のポイントです。読みの指導でこれらが満たせているか否かが、指導の良し悪しを左右すると言えるぐらいに!
・一人読み(こそ)が、生徒をよりよい読み手にする ~ 教師がいくら頑張って指導しても、生徒が読まない限りはよい読み手にはなれない! 自分に合ったたくさんの本を読むことが、よりよい読み手になる最善の方法! 自転車の乗り方をいくら講義されても乗れるようにはならず、自分で転びながらも練習するしかない。
 ・一人読みが、自分の読みのパワーを気づかせる(に磨きをかける) ~ それは、自分が読みたいものでこそ可能。読みたいものでこそ、本当の力を使う(あるいは、もっているものを超えて、力を身につける)。
 ・一人読みで、読むことの楽しさを実感できる ~ 本とのいい関係こそが大切だし、読む量と読む力をもたらす。
 ・一人読みは、「一人ひとりをいかす教え方・学び方」★★★を実践している ~ 各人の興味関心や(本の難しさや易しさ等の)レベルに応じて、自分に合った本を読んでいる! 一人読みの間に行われるカンファランスも、個々人を読み手として成長させるために行われる。読んでいるものの内容理解は二義的な目標。
 ・一人読みは、すべての責任が一人ひとりの生徒によって担われている ~ ミニ・レッスンや「いっしょ読み」等では、教師も含めてみんなで問題解決をするので、各人は引いてしまう=傍観者になることができるが、一人読みではそうはいかない。自分で判断して読むスキルを使いこなすことが求められる。失敗することも含めて。
 ・一人読みは、教師に自分がミニ・レッスンやガイド読み等で指導してきたことがどれだけ定着しているのかを把握する機会を提供する。そして、その情報は、教え方の改善のきっかけにもなる。
 ・一人読みは、カンファランスの時間でもあるので、教師と生徒のいい関係づくりと、読みのコミュニティーづくりに貢献する ~ 互いに読んだ本について紹介し合ったり、推薦し合ったりする仲間意識が芽生え、そして実際、たくさんの本が紹介される。

117 一人読みには複数の本が必要
常に、いくつかのレベルや種類の選択肢を読書家は自分に提供している。子どもにも同じような選択肢があって、おかしくない!!


★ Who’s Doing the Work?  How to say less so Readers can do More, by Jan Burkins and Kim Yaris, from Stenhouse (2016)

★★ この「責任の移行」モデルは、読み方の指導を改善するために生まれたもので、本書をはじめ英語ではたくさん出ていますが、残念ながら日本で翻訳するのが難しいです。マーケットが少ないので。(圧倒的多数の人は、教科書を使った読解教育が読みの教え方だと錯覚を起こしたままですから!)しかし「責任の移行」モデルが紹介されて30年以上たった今では、英語圏ではすべての教科で使われています。それなら日本でもニーズがあるだろうと年内には翻訳が出ます。タイトルは、『「学び」の責任は誰にあるのか?(仮)』ダグラス・フィッシャー&ナンシー・フレイ著、新評論です。


★★★ 「一人ひとりをいかす教え方・学び方」については、『ようこそ、一人ひとりをいかす教室へ』キャロル・トムリンソン著、北大路書房を参照してください。


2017年8月4日金曜日

一人の教師が描いた図~WWと従来型の教え方の違い




 

 ライティング・ワークショップと従来型の作文授業の違いをわかりやすく伝えるのはどうしたらいいのだろう、と話している中で、上の図が生まれました。上の図を描いてくれたのは、ライティング・ワークショップを使って、中学校・高等学校の教室で、英語で書くことを教えている吉沢先生です。人数が多い日本の教室で、その多さに苦労しながらも、カンファランスを一貫して行っている先生です。

 

 この図の説明を聞いたときに私はとても納得し、頭が整理された気がしましたので、吉沢先生に許可をいただいて紹介します。なお図を書いてくれたのは吉沢先生ですが、説明は私の記憶からです。

 

 従来型の作文(英作文)については、真ん中の横向きの➔が表現しています。スタートは教師が設定したテーマ、トピックです。

 

教師が設定したテーマ、トピックから生徒が書いたものまでは、1本の直線の矢印ですが、それは、テーマやトピック(そして締切も)を与える以外、あまり指導の幅がなく、直線的に進むからです。


その後、生徒が書いたものを教師が添削し、成績をつけて終了です。そこから先につながるものはあまりありません。

 

少し戻った矢印でクエスチョンマークがついているのは、生徒に返却されるものもあるだろうけど、それがどのように、今後の生徒の学びに還元されるのかが、よくわからないからです。


 ライティング・ワークショップの場合は、下から上に向けての流れです。

 

 スタートは「何について書くか?」という題材さがして、その後の書き進めていくプロセスを、教師が併走しています。指導も、カンファランス・アプローチですから、一人ひとりの子どもに適したように変えるので、幅がありますし、直線的に進むわけではありません。

 

 そうやって書いたものができてきます。

 

 書くプロセスや書いたものから、今までドアの向こうに隠れたいたものが見えてきます。
 
 英語を教える吉沢先生は、今までドアの向こうにあって見えていなかったが、カンファランスをすることで、教師が学んだこととして2点あげています。

 

 それは書き手としての1)個性と2)世界だそうです。

 

 一つ目の、「書き手としての個性」というのは、書き方の特徴でもあります。教えている教科が英語なので「あの子は、こうやって英語を書いていたんだ」とうことを、知ったそうです。例えば「とにかく英単語を並べるような書き方をする子」、「主語と動詞をうまく決めずに英語にしようとする子」等、カンファランスの指導をする前には、「どうやって」の部分は見えていなかったそうです。

 

 2点目の「書き手としての生徒の世界」は、意味不明の英文をカンファランスする中で見えてきたそうです。書かれている英文がわからない、でも、カンファランスをすると「部活のこういう経験があったから」この英文になっていると分かるそうです。その理解がないとよいカンファランスができない、逆にいうと、カンファランスをすることで、その子のもっている世界のドアが教師に向かって開く、ということです。


 カンファランスは、書き手の個性と世界へのドアを開く鍵みたいなものだそうです。

 

開いたドアからは、さらにその子の個性と世界が生かされ、読者のいる外の世界へと広がっていきます。

 

 吉沢先生によると、カンファランスで大切なのは、まず好奇心で、好奇心をもってその子の書いたものから、その子の書き方の個性や世界を学ぶと、次のカンファランスはもっとよくなるそうです。

 

 

2017年7月28日金曜日

WW&RWと「一人ひとりをいかす教え方」




今回は、「PLC便り」7月23日号の最初の部分にまとめた、「一人ひとりをいかす教え方」ではないものと、そうであるもののリストを眺めながら、どれはWWRWが満たしているのかを考えてみたいと思います。

私が引っ掛かったのは、
1.「ではないもの」の方では、一番上の「個別指導ではありません。生徒たちを個別化して教えることではありません」でした。

ひたすら書く時間とひたすら読む時間は、各自が好きなものを書いたり、読んだりしています。そして、教師がしていることは、カンファランスですから、取りようによっては、個別指導/個別化して教えている、と言えなくもありません。
あなたは、どのように考えますか?

もう一つ引っ掛かったのは、
2.「そうであるもの」のリストの上から4番目(下から4番目でもあります!)の「何を(学習内容)、どう学ぶのか(学習方法)、そして学んだことをどのように証明するのか(=成果物)の3つで、生徒たちに選択肢が提供される教え方です」でした。

「何を」については、基本的には「書きたいものを書く」「読みたいものを読む」なのでOKです。(国語に限らず、教科書だけを使って教えていては、「何を」の選択肢を提供していることにはなりません!! 文科省や教育委員会の認識は、時代錯誤状態が続いたままです。)
他の2つ(「どう学ぶか」と「学んだことをどのように証明するか」)に関して、あなたは満足できますか?

あとは、引っ掛かったところはありません。すべて満たしています。完璧なほどに。(そうは思わないという方は、pro.workshop@gmail.com宛てに、ぜひご一報ください。)

それでは、1から見ていきましょう。
WWRWの一般的な1時間の流れは、①ミニ・レッスン→②ひたすら書く/読む(この間、教師はカンファランス)→③振り返り/共有の時間、と理解されています。これだけでも、全体指導(①と③)と個別指導(②)があることは分かります。
しかし、詳しく見てみると、そう単純でもありません。RWの場合は『読書家の時間』の58ページに示した図のように、ひたすら読む時間も、多様な方法がとられていることがわかります。
  
さらに、下の図2を見ていただくと、RWは(WWも、ほとんどこれと同じものがあります!)多様な教え方(子どもから見れば、学び方)をしていることを理解していただけると思います。
 
聞きなれないものは、「いっしょ読み」★だけではないでしょうか?
残りはすべて、『リーディング・ワークショップ』と『読書家の時間』で紹介されています。
どれも、極めて効果的な方法ばかりですから、ぜひ自分のものにして、教え方のレパートリーを広げてください。(これらのほとんどは、従来の国語として教えるときにも使えると思います!)
たとえば、最初の3つ(読み聞かせ、考え聞かせ、いっしょ読み)は、ミニ・レッスンの中で使います。残りは、ひたすら読む時間に行われますが、ガイド読み以外は授業以外の時間や家でも継続して行えます。

振り返り/共有の時間の持ち方も、クラス全体でのやり方から、小グループ、ペア、そして個人と多様にあり得ます。

さて、2の「どう学ぶか」と「学んだことをどのように証明するか」です。
「どう学ぶか」は、上の2つの図でかなりの部分は答えになっていると思います。
しかし、もう少し多様化しても(生徒の観点からすれば、選択肢が提供されても)よさそうな気はしますが、どうでしょうか? どんどん、生徒たちのニーズに応じて開発してください。WWRWの良さは、固定化していないことなのですから。(図2も、最初からこれらすべてがあったわけではありません。必要性や、それらを試してみた効果などによって、徐々に増えてきました!)

そのことは、特に「学んだことをどのように証明するか」の方に言えるかもしれません。
作家の時間の出版形態は、選択肢が少なすぎるとは思いませんか?
読書家の時間の自分が読めている証明の仕方は、どうですか?
この最後の点に関しては、ぜひ、あなたの疑問・悩みや考えをpro.workshop@gmail.com宛てに、お聞かせください。


★ 「いっしょ読み」および「読み聞かせ」や「考え聞かせ」については、近々、このブログや本の形で紹介したいと思っています。


2017年7月21日金曜日

マインドリーディング(読心術)にみる理解のための方法


 「読心術」や「第六感」と聞くと、ミステリーか超能力か何かそのようなものを連想してしまいます。出張先で立ち寄った大きめの本屋の文庫コーナーに、ニコラス・エプリー(波多野理彩子訳)『人の心は読めるか?―本音と誤解の心理学―』(ハヤカワノンフィクション文庫, 2017年:初版単行本『人の心は読めるか?』は早川書房から2015年)という本がたくさん平積みになっていましたので、「読心術」ブームでも到来したのかと思いました。手に取って読み始めると、冒頭に次のようなことが書かれています。



・相手の気持ちを想像する能力が、人間のもっとも偉大な能力であることは、ほぼ間違いない。この本では、そうした能力のメカニズムや、他人の気持ちを間違って理解しているがために誤解や対立が生じる仕組みや、他人の気持ちを正しく理解する方法を述べていこうと思う。(14ページ)



 おっと「理解する方法」だって? 超能力本どころか、これは『理解するってどういうこと?』の関連本の一つではないかと思い、購入してじっくり読み進めると、ほんとうにエリンさんの本と通じることがたくさん書かれています。

著者エプリーの言う「読心術」とは「私たちが日々の暮らしのなかで、相手の考えや感情や望みや糸をとっさに推し量るときに一日も何度もやっていること」です。それが「あらゆる人間関係の土台を作り、推測と仮定の網を張りめぐらすもの」となって「そのおかげで広い社会がうまく機能」するのですが、このような意味での「読心術」を使うことが「真の意味での「第六感」」を働かせることなのだと、著者は言っています。



・人は、相手にも自分と同じ「心」があり、自分と同じ能力と経験を持っていることを、いともたやすく忘れがちだ。理性的に考えたり、自分の意志で選んだり、何かを感じたりする能力がないと一度見なされた人は、人間以下の存在に見られてします。要するに、非人間化とは、相手の人間性を認めないことだ。(78ページ)



 『理解するってどういうこと?』第9章にある、小学校3年生とエリンさんとでロバート・コールズの『ルビー・ブリッジス物語』★をもとに「関連づける」という理解のための方法を使いながら、「共感する」ことを学んだ授業のことを思い出させる言葉です。「共感する」ためには「他人と同じレンズを通して自分を見る必要」がありますが、それだけではしっかりと理解したことにはならないかもしれません。

次の言葉は、自分が『ルビー・ブリッジス物語』を黒人の子どもたちと同じようには「完全に共感することはけっしてできない」けれども、「どれほどあなたがたが共感したのかということは、この心で感じることができる」とエリンさんが言ったことと重なる内容です。



・相手の見方を頭のなかで想像するだけでは、レンズの問題は解決しない。実際にその見方ができる状況に自分を置いたり、実際に経験した人から直接話を聞いたりすることで、初めて乗り越えられる問題なのである。(187ページ)



 次の二つも、『理解するってどういうこと?』の内容と響き合います。一つ目は、子どもの能力を伸ばすために「相手の立場になって想像する」ことがいかに重要かを教えてくれます。二つ目の引用は、相手の視点を「獲得する」こと、つまり、相手の心の座のようなところに自らの身を置いて考えると、相手の望んでいることやしてほしくないことなどがわかってくるということです。



・相手の立場になって想像するのは、すばらしいことである。一二歳の私の息子が、学校の作文を手伝ってほしいといってきたとき、私は同僚の教授に対してやるように、好き勝手に批評したりしなかった。子どもが作文の書き方を学ぶには、不安を与えるのではなく励ます必要があるからだ。教師ならみなそうするように、意見をいうときは、相手が聞きたいことを話さなければいけない。相手の反応を、実際に目にする前に想像する能力は、人間のもっとも偉大な能力の一つだ。(262ページ)



・第六感の限界を認識すると、相手の心を知る別の方法が見えてくる。その方法とは、相手の視点を「取得」するのではなく「獲得」することだ。患者を理解しようとする医者には、昔から「患者は自分の悪いところを話そうとするから、黙って話を聞くこと」という助言があるが、それと同じである。(268ページ)



 『人の心は読めるか?』は、マインドリーディング(心を読む)ということは、超能力を使うことでもなく、魔法を使うことでもない、想像力を駆使しながら相手の発するさまざまなメッセージに耳を澄まして聞くことであると、わかりやすい言葉で教えてくれる本です。でも、タイトルに対する答えは、「読める」でいいと思いますが、その「読める」の半分は自分の心が「読める」ということにもなるようです。



★白人の学校に、黒人の子として初めて登校した女の子の物語です。ルビーは、多くの反発や偏見のなかを勇気をもって登校しました。ヘミングウェイが賛辞を送り、ノーマン・ロックウェルが彼女の登校シーンを描いたことでも有名です。

2017年7月14日金曜日

『リーディング・ワークショップ』の読み会、スタート


 5人の人たちが、ルーシー・カルキンズ著の『リーディング・ワークショップ』のメールでの読み会をスタートさせました。一人で読むよりも、数倍は価値のある読み方なので、ぜひあなたも体験してください。馬が合いそうな人を一人か二人誘ってスタートすればいいのです。そのやり方と効果などについては『読書がさらに楽しくなるブッククラブ』に詳しく書いてあるのですが、やり方を1枚の紙にまとめたものもあります。希望者には喜んでお送りしますので、pro.workshop@gmail.comへお問い合わせください。★
 それでは、1回目の各メンバーの感想を紹介します。★★ (←/斜体/青字は、私のコメントです)


◆ Aさん
1章を読む前に「編訳者まえがき」を読みましたが、ここにこの本の本質が
書かれているように思いました。
「読むことと書くことが、このクラスの中心となります。だから、読み書き
が特に大切になるようなクラスにしたいと思います」と新学期に1年生に
宣言して「リーディング・ワークショップ」はスタートしています。
子どもたちにお気に入りの本をもってこさせる、語らせる。しおりや本
を読むための場所について話し合いをする。校長先生の読書生活を紹介し
てもらうという風に、生活の中での読書の位置づけ、読書の価値について
気づかせている点がすばらしいと思いました。最近の日本ではそのような
読書教育をしているのでしょうか。本については語るかもしれません。
作品の描写について教えるかもしれませんが、読書生活について図書の
時間に語ってもらったり、語り合ったりする時間があるとすてきだと思い
ました。
← 『リーディング・ワークショップ』は、図書の時間(週に1時間では、何もできません。時間の使い方を考え直す必要があります★★★)のヒントにするためではなくて、機能しているとは言い難い日本の国語の時間を変えるために訳した本です!!

◆ Bさん
印象的だったのはP21の後半「単に子どもたちが言葉を知らないということではなく、
他の人の言葉に対して創造的に反応できない」と書いているところです。
また、p28の中程に「いったいどのようにして「もっと違うように生きましょう」と
伝えればいいのでしょうか」という所に共感しました。
→ この本には、こういう文章が散りばめられています。日本の教育書で、これだけの量のキー・センテンスに出合える本は、お目にかかったことがありません。(あの、大村はまさんでさえ難しいです!!)私は、もう10回以上読んでいますが、読むたびに新しい発見があります。単に一度で読めないことが多すぎるという問題を抱えているだけかもしれませんが・・・・

字が読めるのと本が読めるの間を埋めていけたらと思います。
読書が色々なことに挑戦する勇気や、人生は悪いものではないということを
学んで欲しいと思っています。→ ここまではいいのですが、この下が・・・・・この本にも出てくる校長先生は、やっていますが、先生たちで本を紹介している人はあまりいません。それは、教師や司書の役割だとは思っていないからです。何が役割か? ぜひ、この本を通して発見してください。
読んで欲しい本達をどうやったら届けられるのだろうと悩みます。
ま、理想は高く、現実に は地道に本を薦めていきます。
そして、私自身がもっと読まないとねと・・・

◆ Cさん
12章はなかなか刺激的でした。

まず、校長先生の読書に対するあり方が印象的でした。
このようにして「定期的に行われている様々な行事からも、「私たちは読書家で、本が大好き」という強力なメッセージが発信され、学校が読み書きを大切にしていることを伝えているのです」(p.32)ということが保護者や地域社会によく理解されるだろうと思います。
翻って、私たちの学校はどんなメッセージを地域社会に届けているのでしょうね?
それは、校長や管理職や学校のホームページが語る文章によるメッセージではなく、その学校が日々どのような教育活動をしているかによるメッセージの方が、より保護者には伝わっているのでしょう。
私の息子の通う小学校は地域に名の知れた学校ですが、その普段の活動から感じるメッセージは、正直戸惑う時もあります。
「読み書きを大切にしている」学校であるというメッセージを、日々の活動から発信したいものです。

p35からの「一人ひとりが自分にあった本を読む」の内容はとても身につまされるものでした。
「ララの先生は、ララが『こぐまのくまくん』を読むレベルにあるにもかかわらず、小学校3年生にふさわしいと教師が考えている本を読ませようとしています。その結果、ララから本を読むという機会をすべて奪い取ってしまっているのです。」(p.36
これは深刻なことなのですが、私たちの教室でよく見かける光景です。
そしてさらに深刻なことに、その教師は、こうすることがララにとってよいことなのだと信じ切っているだろう、ということです。
この教師は、他の子と同じことができるのが幸せ、と考えていることになるでしょう。しかし、本当の幸せはそうでしょうか?
本当に大切なことは、ララが自立した読書家になるということのはずです。自立した読書家になるために、初めは他の子と違うレベルでも、その子にあった本を読ませてやるべきなのですね。
私たちの教室ではどうだろうか。似たようなことが起こっていないか、反省するべきですね。← ここの部分は、『ようこそ、一人ひとりをいかす教室へ』(特に、第3章や第4章)のテーマです。

p39からの「友達の書評を活かして、選書を助け合えるようにする」も大切な箇所だと思いました。
「目的をもって読む本を決め、かつ選書を助けてくれるような仲間がいて、初めて選択の機会が活かされるのです。」(p.39
ここに、選書を教える際のポイントがあると思いました。
子どもたちに「目的をもって読む本を決める」ということをさせているでしょうか?
ただ、好きな本を選べ、と言われても、それできちんと選書できる子どもはよほど読書好きでしょう。
多くの子どもは自分で自分の読みたい本を選ぶことができません。
それも、「目的をもって読書する」ことを教えることが皆無に近いのではないか、と思いました。
その選書を助ける手段として、友人の書評の効果はなるほどと思います。
確かに我々大人は「書評やそれまでに耳にした情報を活用して」選書をします。
それなのに、何故子どもたちにはそうしたことをさせずに、「さあ、読みたい本を選べ!」と言うのでしょうか?
ナンセンスなことを、しかしそれを疑いもせずに、行っているなぁと思います。
← 残念ながら、日本の国語教育にも、図書教育にも「選書の大切さ」および選書能力を身につけるための実践というのは、あるでしょうか? それこそが、読むことで一番大切なのに。それこそが「自立した読み手」になるための核なのに。

私にとってとても大切な箇所として、
1960年代以降のリテラシー教育に大きな貢献をしたアラン・パーヴスが「本を読むのには2人が必要」と言っていますが、私たちにとっても、子どもたちにとっても、お互いに共有しあった本が生活の中でかけがえのないものとなるのです。」(p.40
は心に残りました。
「本を読むのに2人は必要」とは、革命的な言葉だと思いませんか!
日本では「本は1人で読むもの」という考えが、あまりに妄信的に奉られています。
生徒たちもそうした考えに凝り固まっています。私は、8年前に○○高校で朝の読書をスタートさせたメンバーの1人ですが、最初に朝の読書を取り入れたとき、男子生徒のひとりが「読書は強制されてするものではない」とずっと言い続けていました。
その理由のひとつに、「読書は1人でするものだ」というのがあったのです。
朝の読書自体の問題点はさておき、高校に入学したばかりの生徒であっても、「読書は1人でするもの」という観念に囚われています。
人は、いかに様々な固定観念に囚われているか、その固定観念の中に読書のあり方もある、と思いました。
← 「本を読むのに2人は必要」は、革命的な言葉、同感です。これだけでも、日本の国語教育や図書教育を変えていく原動力になり得ると思います。下で、Dさんも指摘してくれているように!

◆ Dさん
 第1章の中で、特に共感したのは、「子ども達が読むことを好きになるためには、仲間と一緒に楽しめる活動にする必要がある」という点です。(P24)本を通して人と繋がることができるということが大切だと思います。
第2章では、ニューヨークの第6小学校のカーメン・ファリーナ校長が読み書きを学校の中心に位置づけたということに感銘を受けました。校長が「今月の本」を精選し、教師に手紙とともに渡し、教師はその本を子ども達に読み聞かせ、話し合いを深める。管理職がこのように学校全体を動かしていくことが理想だと思います。
 子ども達一人ひとりが自分にあった本を選ぶことができるように教室に図書コーナーをつくる、また、タピニアン先生のクラスのように、子ども達がおすすめの本を紹介し合う活動も子ども達の選書の手助けになるという点にも共感できました。
← はい、選書能力こそが核です。教室の図書コーナーは、そのためにも価値があります。

◆ Eさん
『リーディング・ワークショップ』1,2章を読んで、学校と家庭で子どもを本好きにする実践例が豊富に述べられていると感じました。
たとえば、校長先生から23頁「読むこと」の例示や、学校が抱える課題についてヒントになる本の紹介など管理職の支援・指導 ← 日本のいじめ対策や「いのちを大切にする」校長講話などと比べると、月とスッポンという感じです。パオロ・マッツァリーノ著の『みんなの道徳解体新書』の中に、そのズレ具合がみごとなぐらいに書いてあります。★★★★ しかも、それは道徳に限らず、他の教科や(Cさんも書いていたように)学校運営をはじめ学校教育全体を覆っている部分もありますから大変です!
16頁や24頁、39頁などにある、教師対子ども、または子ども対子どもの本や読書方法・内容を通じたコミュニケーション
子どもが家庭で行っている読書の様子をクラスで紹介して、他の子どもと共有すること
← 家と学校をあえて分ける必要はないんですものね!
子どもと本について語り、その子どもの発達に応じた本を手渡す、または他の子どもから手渡してもらう機会を作る大切さを学びました。
こういった切っ掛けって、子どもにとっても、大人にとっても意外と少ないと思います。
一方で、この切っ掛けを作っている先生の子どもたちは、本好きが多いと実感しています。
← 「本好きを増やす」という観点からすると、日本で行われている国語教育、図書の時間、朝の読書の時間等は、見直しが必要なものばかりという感じがします。少なくとも、コスト・パフォーマンス(費やす時間とエネルギーで得られる効果)はとても悪いと思います。


★ ブッククラブほど、教師の資質向上に効果的な方法はありませんので、ぜひ試してみてください。

★★ このやり方自体も、徐々には、この本の第9章に書いてあるように、転換していく必要があります! でも、大切なことは、まずはスタートすることです!!

★★★ 年間を通して週1時間ではなく、たとえば、1学期間だけ週3時間とか、1学期間だけ週2時間で残りをばらすといった時間の使い方を実験してみてください。

★★★★ この本、タイトルの通り日本の極めておかしな道徳教育をおもしろおかしく解体はしてくれていますが(したがって、読み物としてはいいのですが)、現場でどうしていったらいいのかの参考にはまったくなりません。教科化された道徳によって、子どもたちと教師は今まで以上に多くの意味のない時間を強いられることになるわけですが、その救いになるような動きはあるのでしょうか?

2017年7月7日金曜日

これは便利、「下書きとは別のメモ書き」

 RWとWWの中学校レベルの優れた実践者、ナンシー・アトウェル氏が紹介する、ライティングのミニ・レッスンの一つに、「下書きを書く前に、下書きではない他の紙に、メモ書きをする」というのがあります。★

 アトウェル氏は、授業で教える内容を決めるときには、書き手が実際に行っていて、かつ生徒に役に立つことを厳選しています。この「メモ書き」という方法も、氏自身が長年使っている、効果的な方法の一つとのことです。

 やり方はいたって簡単です。

 下書きとは別に、下書きと言うには程遠いようなレベルでいいので、思いついたこと、関連しそうなこと等々、断片的なアイディアでも、何でもメモ書きします。

  この方法ですと、白紙を前にして、すくむような思いからも解放されますし、どこから着手したらよいのか分からないものにも、肩肘はらずに、とりあえず、着手することができます。

 しかも、着手するのにハードルが高いなと思う、新しい作品に取り組む時「以外」にも使えます。

 例えば、下書き書き始めたあと、途中で行き詰ったときの解決方法として、メモ書きをすることもできます。

 アトウェル氏の教室で学ぶ一人の生徒は、 行き詰ったときに、その下書きからいったん離れて、メモ書きをする中で、ある会話を再現してみたそうです。そして、最終的には、その会話文が、自分の書いているストーリーのクライマックスとして、使えたそうです。

 アトウェル氏の説明を読んでいると、まだ、固まっていない考えやイメージを活用して、言葉の落書き?のようなメモをつくり、それを活用して、その後、下書きを書いていくことにつなげていけるのが、よくわかります。

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 実は、「メモ書き」は、気になりつつも、私は使ったことがありませんでした。下書きを書くときには、あくまでも、「下書き」として、わりと限定的に書いていたからです。

 突然、「メモ書き」を使ってみよう!と思ったきっかけは、今日のRWWW便りです。

 今回のRWWW便りですが、最初、先週のRWWW便りの特別支援級の話を読んでいて、子どもによっていろいろなコミュニケーションがあるという点が印象的な、以下の2冊の絵本を思い出しました。となると、テーマを決めた絵本紹介?もいいかも?と思いました。

『ぼくは ここにいる』(ピーター・レイノルズ/作・絵、さかきたもつ/訳、小峰書店)

『ペンギンさん』 ポリー・ダンバー/作・絵 もとしたいづみ/訳 フレーベル館

  また後者の『ペンギンさん』は、4分弱の読み聞かせ(英語)がある★★ので、読み聞かせや絵本の様々な使い方も、書きたくなります。

 こんな感じで、断片的なアイディアがあるのですが、断片的な考えだけでは、テーマを決めた「下書きらしい下書き」がスタートできません。これこそ「メモ書き」を使うのにいい状況だ!と思ったわけです。

  そこで「メモ書き」で、トピックを限定せずに、上の二つを中心に思ったことを何でも書き散らしてみました。

➡ その結果、実感したのは、メモ書きを使うと、 あるトピックが、一定の時間で形になるかならないかを見極めるのに、とても便利!ということでした。

 今回はメモ書きしてみて、「子どもによっていろいろなコミュニケーションの方法やペース、というテーマの絵本」も、「絵本『ペンギンさん』の複数の使い方」も、現段階で形にするのが無理とわかりました。つまり、頑張っても形にならないものの下書きに取り組む時間と手間が省けたのです!

そして気になっていた「メモ書き」ついて、考えることができたので、そのトピックを少しだけ
膨らませることができました。

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RWやWW関連の本を読んでいると、今回のように、「いいなと思っていても、使ったことのないミニ・レッスン」に、時折、出合います。そういうミニ・レッスンで教えられているスキルが、自分のスキルのレパートリーに入るのかどうか、今後も積極的に使ってみようとも思いました。



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★「メモ書き」のミニ・レッスンについては Nancie Atwell著の In the Middle の第3版124~130頁に詳しく載っています。


★★  『ペンギンさん』の英語の読み聞かせは、4分ぐらいです。https://vimeo.com/58744168 で見れます。ペンギンさんの友達になりたい男の子とペンギンさんのペースやコミュニケーションの取り方の違い、そして途中のびっくり事件も含めて、あっという間の4分です。