2010年12月27日月曜日

実践に磨きをかける方法

◆ 今年の「WW便り」は、これで最後です。

 テーマは、「実践に磨きをかける方法」にしました。(「一年の計は、元旦にあり」に活かしていただくために?)

 それを図化すると、以下のようになります。
 (図をクリックすると、拡大して見られます。)




1 WWの実践に磨きをかけるなら、何よりもWWの時間を確保する必要があります。
 子どもたちが作家(本物の作家)になる体験を通して学ぶので、最低でも週2時間の確保が不可欠です。それは、教師の志気を維持するのにも必要です。

0 もちろん、その前段としては、自分がWW関連の本を読んだり、自ら体験して、WWの効果を納得した上で、時間の確保も含めて実践に取り組む「踏ん切り」が必要です。

2 WWが、従来の単元学習などと違うところは、試行錯誤を年間を通してやれることです。その分、教師の学びも、子どもたちの学びも多くなります。
 それは、記録を取るかどうかは保留するにしても、振り返ることで可能になります。振り返らないかぎりは、よりよい実践をすることはできませんから。(振り返りのさまざまな仕方については、『「考える力」はこうしてつける』を参照してください。)
 なお、振り返りの過程に、子どもたちを巻き込むと、「自立した書き手」「自立した学び手」「自己評価できる学び手」に子どもたちを育てていくためにも大きく貢献します。

3 日本の場合は、まだWWの実践者が自分の実践を紹介する本もブログも少ないですが、英語ではすごい数あるので、それらをチェックすることで、継続的な情報収集は可能です! 英語勉強にもなりますから、一石二鳥??です。

4 もちろん、実践の記録を取って、他の実践者や「大切な友だち」からフィードバックが得られると、実践のレベルはさらにアップしますし、と同時に他の実践者にも大きく貢献することができます。

 極めてシンプルかつパワフルな方法なので、まだ実行されていない方は、ぜひ1+2+4に挑戦してみてください。

★ 自分の実践をよりよくするために、上に紹介した方法以外に試みられている方がいたら、ぜひ教えてください。お願いします。

 以上、教師のWWの実践の磨き方として紹介したことは、他の教科でも同じように使えますし、子どもたちが書くことを含めて何を学ぶ際にも使えると思います。


◆ 来年は1月7日から再スタートします。
  よいお年をお迎えください。

2010年12月24日金曜日

書かない子をどうサポートするか (5) ~ 自伝風

私(吉田)自身、書けない子/書かない子でした。

ライティング・ワークショップ(WW)を紹介したいと思った最大の理由は、まさにそのことがあったからです。小中学校の国語の時間を通して書くことが嫌いになり、30歳ぐらいまで書けなかったからです。★
WWの本を読み始めたら、自分もこんな授業を受けていたら嫌いにならないですんだろうし、もっと書くことをいろいろ使いこなせていただろうに、と思いました。そして、私を書くこと嫌いにした指導法がいまでも主流であり続けていますから、先生たちに「子どもたちが書くのが好きになり、かつ書く力を身につけられる教え方」を知ってもらいと強く思う次第です。

30歳を過ぎて、何が私を書けるようにしてくれたのか? ワープロです。というか、キーボードです。いまでも、原稿用紙には書けません。1986年にワープロで報告書と事例集を「出版」してしまったことが大きなはずみをつけてくれました。自信になりました。(今思うと、「出版」の威力です。ちなみに、タイトルは『ワン・ワールド・ワークショップ報告書』と『“楽しく”世界とつながるイベントの事例集』でした。そのころから、ワークショップをやっていたことになります。両方とも、義務で書かされたものではありません。やりたくてやったことです。前者は、実際にやったことを紹介し、普及するために。後者は、イギリスでOne World Weekという世界とのつながりを感じるイベントを1978年から毎年実施しているのですが、それを参考にしながら、日本のも踏まえつつ作った事例集です。)
キーボードは、ハード面で私に書くことを可能にしてくれたわけですが、ソフト面では「これは(ぜひ出版して)伝えたいと思える内容」があったからだと思います。後者がなければ、たとえキーボードがあったところで、宝の持ち腐れだったことでしょう。それほど、誰かに伝えたいと思える内容(=書く題材)は大事だということだと思います。

ということで、ぜひ子どもたちに「これは伝えずにはいられない」という内容を見つけ出すのをサポートしてあげてください。(それは、「書くこと自体」が目的になっていては、難しいことかもしれません。社会科とか理科(生活科)とか、総合学習とか、その他の教科とか、さらには学校以外のさまざまな体験から浮かび上がってくるような気がします。)


★ つい最近、私が書けなかったことをある出版社の編集者に話したら、「実は、私も書けませんでした」と言っていました。書けるようになったのは、芥川龍之介の短編「蜜柑」を読んだからだそうです。「こんなのなら、自分にも書けるかな」と。この編集者の事例は、メンター・テキストの大切さを証明してくれていると思います。でも、メンターとなり得る作品は一人ひとりの子どもにとって違います。(教科書は、そのことが理解できないので、常に“古典”を掲載し続けます。結果的に読む力も、書く力もつけない結果を招き続けています。)その意味で、読み聞かせや教室の中の図書コーナー等を通して、たくさんの本に触れさせてあげることは、とても大切です。

2010年12月17日金曜日

書かない子をどうサポートするか (4)

今回は、Reclaiming Reluctant Writers (by Kellie Buis from Stenhouse)の第2章と第4章から中心に紹介します。

⑪ 読み聞かせの有効活用

著者のBuisは、「読み聞かせをどれだけするかと、書かない子どもたちが書けるようになるかは相関関係にある」と言っています。
もちろん読み聞かせする本は、絵本に限定されません。普通の本でもいいし、雑誌、新聞、カタログ、旅行のチラシなども可能です。何を選ぶかは、目の前の子どもたち(特に、書かない子たち)を念頭においた教師の選択にかかっています。

読み聞かせを「書き手の視点から振り返るためのシート」の案も提供してくれています。たとえば、以下のような項目が考えられます。(48~49ページ)
・ 読み聞かせはよかった/よくなかった? その理由は?
・ 作品で特に印象に残ったことは、
・ 特に興味のあった「作家の技」は、
・ 書く題材(テーマ)として思いついたのは、
・ 書き手の声/主張は聞こえてきたか?
・ 作品の構成や文の流れで気づいたことは、
・ 言葉の選択で気に入ったのは、

これらについて読み聞かせの後に書けるようになると、作家の目で読んでいることになるわけで、読み聞かせは、自分で読む(黙読する)よりも、作家の耳で聞ける/判断できるようになるために効果的です。

単に読んで理解するのと、書くのに役立てられるように聞く(=作家の視点で読める)ことは別物なので、いかに後者を念頭において教師が読み聞かせられるかは重要なポイントにもなります(47ページ)。
その際の注意点として、作家のスタイル(構成の仕方、主張、感情面の描き方など)や作家の技などについては指摘することも躊躇せずに、場合によっては黒板や模造紙に記録することも含めて、子どもたちが使えるように手助けしていくことが大切です。

書かない/書けない子どもたちには、詩の読み聞かせ(および10月22日12月3日に紹介した書き聞かせ)を繰り返すことで、特に助けになるとも書かれています。(57ページ)文章が短く、言葉も選りすぐられている分、インパクトも大きいのだと思います。また、短いのでそのことについて話し合うことができるのも、大きな助けになります。

以上の他に、読み聞かせは、クラスの中に「作家たちのコミュニティ」を作り出すのにも役立ちますし、読み聞かせする本を、メンター・テキストにしていくという教師側の意図にそって選ぶことで、一石二鳥の使い方もできます。もちろん、子どもたちは本から刺激を受けますから、書く際にたくさんの題材のヒントを得ることにもなります。(38ページ)

2010年12月10日金曜日

低学年のWWでの絵の役割 (絵を使う理由)

 今朝、通勤途中で読んでいた絵本ですが、かなり創造的な絵本でした。

 最初は、多くの絵本と同じように、(普通に?)絵と字があります。

 でも、本の途中から、それぞれのページの真ん中に、絵が一つ書いてあります。そ
してそれぞれのページに、その一つの絵をはさむように、横書きで絵の上と下に文が
書いてあります。

 上の文は、なんと文字の上下が逆なので、上の文を読むためには、本の上下を逆にしないと読めま
せん。

 そして本の上下を逆にしたとたん、絵は、逆から見ると違う絵に見えることに気
付きました(ただし、ページによっては、上下の文を読まないと、なかなか違う絵に
は気づけないページもありました)。

 そんなページが20ページぐらい続くのです。

 面白い! と思いました。

*****

 創造的なつくりかたの本を見ると、「いつかWWで紹介するときの1冊にしよう」と
思います。

 この本の場合は、その創造性は絵を抜きにしては語れない本でした。

*****

 この本のおかげで、「WWでの絵の役割とは?、なぜ絵を使って描くこともよく行うの?」と考えました。

 『ライティング・ワークショップ』を読んでいると、幼稚園から小学校1年生の教室
では、絵を使う(絵を書き足したり、絵に単語を付け加えたりすること(72ページ
参照)が書かれています。

 また5~7歳ぐらいの子どものための事例が中心のライティング・ワークショップの
本, 『
About the Authors』 でも、子どもたちが(絵)本をつくる話が紹介されていて、自分の取り組み中の作品に絵を描 くことでできるいろいろな可能性に子どもたちが気づくことも教えています。

 例えば、ある本の絵を描くときには、まずどの部分を絵にするのか、そして絵にする部分をどのように描くのか、絵本の絵を描く人は、いろいろな「選択」をします。

 絵本から、絵を描いた人が「どんな選択をして書いているのか」ということを、子
どもたちと話し、絵を描いた人が行った選択のリストをつくったりしながら、考えて
いきます。

 こうすることで、子どもたちは、自分の作品につかえるかもしれない、さまざまな
選択肢を学んでいきます。

 まだ文字や文だけでは十分に表現できない子どもたちも、絵ができることを学ぶこ
とで、まさに「作家が表現したいことを、よりよく表現するために、いろいろな表現方法の選択肢を自分のレパートリーに加え、そしていい選択を していく」という、ある意味WWの中核にあることを、絵も使って、学んでいるのだなと思いました。

*****

 上の本、『About the Authors 』の著者は、絵本を見て、子どもたちにしてみる一般的な
質問をいくつか挙げてくれていますので、そこから少し紹介します。

 例えば。。。

 「レイアウトはずっと同じなのか、あるいは途中で変わるのか? そのことの意味は?」

 (→ 冒頭の絵本の場合、上のようなレイアウトは本の途中からの真ん中の20ページです。この20ページは、一つの状況下での人々を描いています。最初と最後のレイアウトは、普通の?本です)

 「文字と絵との関係は?、レイアウトの特徴は?」

 (→ 冒頭の絵本の場合、文字を見ないと、2種類の絵を見分けにくいページもあ ります。また、絵の上の文字が上下逆なので、本の上下をひっくりかえすことになります)

 「色の使いかたで意味を伝えていることはあるか?」

 「どのような角度から見ているのか、また、近くから見たり、遠くから見たりしているのか? このような見方は、本が伝えたいこととどのように関連しているの?」

 「文字では伝えていない情報を、絵で伝えているか?」

 「絵だけの箇所があるか。その場合、言葉なしでどのように情報を伝えているのか?」

 (これは絵ではないのかもしれませんが)「文字の大きさ、色、フォントなどを意識して使っているところはあるのか? その効果・意味は?」

(出典: Katie Wood Ray著、About the Authors  (Heinemann, 2004) 183-187ページ

 ☆ なお、冒頭で紹介した絵本ですが、検索してみたのですが邦訳は見つけられ
ませんでした。題名はThe Turnaround Wind で著者がArnold Lobel, 1988年に
HarperCollins より出版されています。私は名古屋市の図書館で偶然、出会いました。もし、邦訳をご存知でしたら教えてください。



2010年12月3日金曜日

WW版「考え聞かせ」?

 今日のタイトルは「WW版『考え聞かせ』?」です。
「考え聞かせ」といわれると、RW(リーディング・ワークショップ)を思い浮かべる人が多いようにも思います。

 読んでいる思考過程は目に見えないので、教えにくい、
そこで、先生が、「よく読めている読み手」はこうやって読んでいるよ、ということを教えるために、先生の思考過程を、口に出しながら読みます。
 こういう「考え聞かせ」を行うことで、よく読めている読み手の読み方を、はっきり見せて教えることができます。

 目に見えにくい「読む」こととは違い、「書く」ことは目に見えます。子どもの書いた下書きや、リストや修正の様子などは、作家ノートなど、紙の上に残っています。

 しかし、紙の上に残っているもの(目に見えるもの)を書いているときに、その書き手が考えていること、つまり、どのような経過/過程で、そう書いたのかは目には見えません。
 このブログでも紹介したことのあるナンシー・アトウエル氏は、子どもの目の前で、OHPを使って書いて、その書いている過程を子どもに見せる、ということを行っています。
 より優れた書き手が、どんなふうに考えて、どんなふうに書いているのかを、リアルタイムで見せるのです。
 それは、先輩の書き手が「本当に」書くときに何を考え、どのように書いているのかを、つまり書き手の頭の中というか思考過程を見ることから子どもたちが学ぶことは大きいからです。
WWで「書いている過程を見える化する」のは大切だと思います。優れた読み手の読み方を「考え聞かせ」で学ぶのと同じように学べると思うのです。
 そして子どもの目の前で書くときは、なんといっても、「本当の読者と本当の目的のあるもの」を選んで書くのがいいと思います。例えば「明日、出す学級通信」などはいかがでしょうか。
 もちろん、「目の前で書いている過程を見せる」のは、ある題材についてどんな内容をいれようかという書くことについてのかなり初期段階でも、どうやって修正しようかということを考えている段階でも、つまり書くサイクルのいろいろな段階で可能だと思います。
 
 なお、アトウエル氏が書いているところを子どもに見せるというのは、アトウエル氏(Nancie Atwell)の著書、
In the middle (Second edition), Boynton/Cook, 1998) 331-369ページに、実際に授業で使った、印をつけたり、線で消したりした手書きの原稿も含めて、載っています。
 
 

2010年11月26日金曜日

こんな共有の時間の使いかたは、いかがでしょうか?

 みなさんはWWの最後の時間の共有の時間は、どのように使われていますか?

 やはり、定番の作家の椅子に子どもが座り、現在、取り組み中の作品を発表する。
それについて、質問やコメントをもらったりする。それが多いのでしょうか。

 共有の時間で、どういうふうに質問やコメン トしたらいいのかも学べますね。

  『ライティング・ワークショップ』 26-29ページを見直していて、上
のような感じの共有の時間、改めていいなあと思います。

 最近、リーディング・ワークショップ(RW)の本の中で共有の時間について読ん
でいて、以下のような共有の時間も、学年やクラスによっては、時には悪くないか
も?と思いましたので、書き込んでみます。

(なお今日参照するRWの本の出典情報は、このブログ の最後に書きます)。

 WWを実践されている人の中には、RWを実践されている人も多いと思います。

 RWをされている人は、共有の時間をどのようにもっておられますか?

 私は、「その日に読んだものをみんなに紹介する」という時間として使うことが、
時々あります。

 今日参照しているRWの本でも、その本の著者たちは、以前はRWの共有の時間を、本の紹介に使っ
ていたようです。

 しかし、本の紹介だけだと、明日以降の読みにつながるスキルや効果的な読み方を
学べない、と思ったそうです。

 そこで、現在は、読み手としての子どもたちに焦点をあて、例えば、読んでいて混乱
したこととか、今日うまくいった効果的な読み方とか、そういう読み方に関わること
を共有で取り上げるようです。

 ひたすら読む時間に、子どもたちをよく観察して、例えば

「読んでいて、全く分からなくなった人はいますか? そのときのことを教えてくだ
さい」

 みたいな質問をするようです。

 そしてその質問について、みんなの考えを共有する。

☆ 共有の時間を「本を紹介する時間」から、上記のように、「読むことについての
具体的な質問を出し、その質問についての皆の考えを共有する」ことに変えること
で、「共有の時間から、明日以降の読みにつながりそうな読み方を見出せることがで
きる」ということです。

→ さて、RWからWWに戻ります。

 上をWWに応用すると、共有の時間で「書くことについての具体的な質問を出し、
その質問についての皆の考えを共有する」ことを加えることで、「共有の時間から、
明日以降の書きにつながりそうな書き方を見出せることができる」ということになり
ます。

 たとえば作家の椅子に座った子どもにみんなが助言やコメントをする。

 そして、いつものそのような共有の時間のあとに、その子の持っている書くことへの課題を
「その子のその作品にしか使えないこと」から、「より一般化した、他の子どもの他の作品にも応用可能
なトピック」に先生が言い換えて、そのトピックについて、みんなの意見を共有す
る、そんな時間はいかがでしょうか。

 例えばある子どもが共有した、ある作品に終わり方について、みんなが質問したり、コメントをし
たりします。

 その後で、「自分あるいは他の人の書いた作品で、いいな、と終わった終わりかた
には、どんなものがあるのかを出してみよう」みたいな共有です。

 「ユーモアで終わる」、「質問で終わる」等々、その作品に限らない終わり方がいろいろ出ることで、明日以降
の書くことに使えそうなことが出てくるのではないでしょうか?

 また、そこで出たことを模造紙に書いて貼っておくと、時々、それを参照する子どもも出てくる
のでは?

 上のようなことを、RWの共有について読んでいて、WWに応用可能では?と思いました。

(上の、リーディング・ワークショップの共有についての箇所は、Day-to-Day
Assessment in the Reading Workshop: Making Informed Instructional Decisions
in Grades 3-6
 (Franki Sibberson, Karen Szymusiak) Scholastic Prof Book
Div (2008/03) 155-157ページからです。 )


2010年11月21日日曜日

「自立した書き手を育てる」 vs. 「作文嫌いを克服する」

 「作文嫌いの克服」というタイトルで、書かない子/書けない子へのサポートの事例を見つけました。(http://www.ilec.jp/data/essay_bn/essay_060.html)

 『ライティング・ワークショップ』や『作家の時間』がとっているアプローチとは随分違うな~、と思いました。「作文嫌いの克服」アプローチは、作文という課題を与えられて書くときの対応にはなるかもしれませんが、自分から進んで書く/自立した書き手になることは最初から考えていないようで...もちろん、90分二回という時間制限の中での試みですから。

 あなたなら、同じ時間制限の中だったら、どうしますか?
 さらには、時間の制限自体があることをどう思いますか?
 子ども(たち)に、「自分から進んで書く/自立した書き手」になってもらうために何をするのがベストだと思われますか?

 どうも、方法論の良し悪しよりも、そもそもの目的の設定が問われているようです。
 このことは、作文/書くことに限らず、読解/読むことや聞くこと・話すことの国語の他の領域はもちろんのこと、すべての教科・領域に言えることのような気がします。
 要するに、最初のボタンの掛け違えの問題です。それがズレていては、あとでどれだけがんばっても、目的を達成することは至難の技ですから。

2010年11月19日金曜日

書かない子をどうサポートするか (3)

10月8日10月22日に続いての3回目です。

⑨(教室ないし学校の)外に出て、自分が興味・関心が持てる題材をリストアップする。
作家・詩人・ノンフィクションライター・ジャーナリストたちは、観察することからスタートします。好奇心をもって、普通の人が見逃してしまうようなことに注意をして、書く題材を集めています。何の変哲もない日常に起こっていることが、見方を変えるととてもおもしろいことになります!!
私自身、俳句(というよりは川柳のレベル)や詩を書き始めてまだ2ヶ月経たないのですが、外に出た時の方が部屋の中にいるときよりも、いろいろなことが思い浮かびます。「書くことは五感が大切なんだ」ということに、改めて気づかせてくれています。

⑩ フリー・ライティング★
滑らかに、スムースに書けるようにするための練習です。
書けない子たちは、まだぎこちない状態にあります。「自分は書けるんだ」というイメージがまだないからでしょう。それを崩すためにも、スムースに書けているイメージを自分のものにすることが大切です。
最初は、5分から。徐々に伸ばしていき、ゆくゆくは30分ぐらい書けるようにします。

フリー・ライティングをする際に
◆ すること
・ リラックスする。
・ とにかく書く。止まらない。
・ なんでも頭に浮かんだことを。
・ 書いたことを共有したいかどうかは、個々人の判断。
◆ してはいけないこと
・ 考える。(→筆=鉛筆に考えさせる!)
・ 計画したり、自分を批判する。
・ 修正する。
・ 言語事項や文法や漢字の間違い等は考える。
・ 誰かに邪魔される。(→気が散らない環境に自分をおくことの大切さ)
・ 止まって考える。

とにかく「止まらない」のがポイントです。書くことが浮かばない時は、「書くことがない」や「わからない」や「浮かばない」や「......」などを繰り返し書き続けます。

同じ方法だけでやり続けないで、バリエーションも大事です。たとえば、
・ 通常のやり方で、テーマをいろいろ変える。
・ 教室や学校の外に出てやってみる。
・ 体験したことについて、共通のテーマで書く。

多様な作品(というよりは、下書き)がたくさんできてくるので刺激になります。「こんなんでいいんだ!」という感覚を持ってもらうことが、フリー・ライティングの目的です。

ちなみに、⑨と⑩は書ける子や書ける大人も使っている方法です。

★ これは、Peter Elbowという人が、彼これ40年ぐらい前に開発した方法です。
なお、フリー・ライティングもWWも、筆に語らせるアプローチを大切にしています。私たちが作文や小論文等で習ったのは、題材が決まったら、次の段階で「構想を練る」ことでしたが、フリー・ライティングやWWではそれをしません。書くことがあらかじめ決まっていては、書く最中になんの発見もないからです。ある意味では、書くことがすでに決まっていることを単に書き出すだけ、というのは書くことを億劫にする要因にもなります。WWの「下書き」やフリー・ライティングでは、書きながら自分の頭の中からどんなことが浮かび出してくるのかを楽しみながら書きます。もし、書いた内容が気に入って、「出版」までもっていきたいと判断した時は、「修正」の段階で、読み手にわかりやすいように再構成すればいいわけですし、「校正」することで読み手に読みやすい文章にすればいいわけですから。
フリー・ライティングが紹介された本は、『Writing Without Teachers』と『Writing With Power』の2冊です。(http://www.geocities.jp/deepbreathinghp/freewriting.htmを参照)

2010年11月12日金曜日

自分もメンター?

 メンター(師匠のような人)から学ぶ、これはWWの学びのポイントの一つだと思います。

 さて、子どもたちにとってメンターは? と言われると、まずはプロの作家(の作品)が浮かぶ人も多いのではないかと思います。

 つまり、メンター・テキストです。WWでは教えるのは先生だけでない。世界中の
すべての作家が先生になりうる、ということです。(7月30日10月1日に扱いました。)

 メンターは、世界中のプロの作家だけではありません。もちろん、教室の中にいる人、つまり先生や他の子どもたちもメンターになれます。

 今回、In the Company of Children という本を読んでいて面白いなと思ったのは、 「自分自身もメンター」ということを、WWで教えることでした。

 
「自分自身もメンター」とはどういうことなのかと言いますと、自分が書き手としてよくできている点に気づき、 そのよくできている点を基にして、書き手としてさらに成長するということです。

 子どもたちは、自分の書き手としてのよくできている点に、自分では意外に気づいていないようです。

上の本の著者Joanne Hindley 氏は、時々、それぞれ自分の作家ノートを見て、自分の書き手として優れているところ、誇りに思えるところを見つけるように言うそうです。

 見つけたあとには、どうしてそこを選んだかも書いてもらうそうです。

 これは、自分の書いたことを、違う視点で読み直すということでもあります。

 自分がよくできていることを見つける・気づくことで、達成感を持って、自分の書い たものを見直すことができますし、そこから将来書く作品にも、再度使いたいという 作家の技に気づくかもしれません。

 また、自分の書いたものを見直すことで、そこから、さらに将来へのプロジェクト (例えば、ある作品を書き直すとか)が出てくることもありそうです。


 さて、自分自身がメンター、ということからは少し離れたことも、以下、書き込みます。

 書いたものを見直してよくできている点に気づくというのは、もちろん、クラスメイトの書いたものを見るときにも使えます。

 クラスメイトだけではくて、時には学年を飛び越えて行ってもいいかもしれません。

 上の本で、Joanne Hindley 氏は、3年生の子どものクラスに6年生に来てもらうという 活動も紹介しています。

 6年生の子どもは、3年生の子どもに読んであげる箇所を自分で選び、なぜ、そこを選 んだのかを話します。

 また、3年生の子どもには、その6年生が書いたものを配り、「うまく書けていると思う点に下線をひいて、なせ、その箇所を選んだのかを書いてもらったりもしています。

 そして6年生の子ども(メンター)から学んだことで、(3年生の)自分の目標にできることをみつけてもらったりもしています。たとえば「細かい点の描写がちゃんとできるようにな りたい」などがでてきています。

 以上、Joanne Hindley著、In the Company of Children 
Stenhouse 1996)、 34-39ページを基に、紹介しました。

 なお、ここ何回か、ブログに書き込むと、迷惑メール扱いになって、メルマガに配信されないことが続いていました。ハンドルネームを変えてみたら?とご助言をいただき、今回、akkr より graphyに変えました。これでうまく送付できるといいのですが。

2010年11月5日金曜日

いい本は少なくとも2回楽しめる

 今朝、通勤のとき、地下鉄の乗換駅に到着したのに気づきませんでした。幸い、人が多く降りる駅だったためか、発車間際に気づいて、慌てて下車し、無事、乗換ました。

 乗換駅から注意が逸れていたのは、『ライティング・ワークショップ』(新評論、2007年)の共著者の一人、ラルフ・フレッチャー氏が書いた 
Walking Trees という本をパラパラ読んでいたのですが、途中から、その本にすっかり引き込まれてしまっていたからです。

 今朝、読んでいた本は、フレッチャー氏が書くことを、子どもたちと先生に教えた(具体的にはいろいろな学校に実際に行って実施した教員研修)1年(1985−86年)について書かれたものでした。

 なぜ、最初、パラパラ見ていただけの本に、電車の乗換駅を乗り過ごしそうになるほど、途中からこんなに引き込まれてしまったのかを考えてみました。

 いくつか思い当たる点を書いてみたいと思います。

○ 文章構成の上手さ、特に構成の順番

 ある章は、なんと「死」についての章です。子どもたちが死についてどういう態度で、どのように考え、また、死について書くことでそれを理解しようとしていること、などが子どもたちの作品からみえてきます。

 まだ小さい子どもたちが、父親の自殺や祖父が射殺されたことなどを書いています。子どもたちの直面している、かなり深刻な現実も見えてきます。

 でも、この章の最後は、少しユーモアをまじえて死を扱っている子どもの話でしめくくられています。しかもその子どもが、他の子どもと、その作品についてしっかり「書き手同士」の会話もしているのです。

→ この章で登場する作品やそれにまつわる話の順番が変わるだけで、この章から受ける印象は、かなり違うものになると思いました。

○ 事実の切り取り方(あるいは選択)の上手さ
 
 同じ章で、赤ちゃんの弟がなくなったことを書いた子どもの作品に、先生が大きく上に赤で GOOD! と書いていることが紹介されています。

 フレッチャー氏は、先生に「こういう作品に先生が、GOOD! と書くこと」に疑問を投げかけています。

 先生は、この子どもが今まで書いた作品と比べても、これは「よく書けている」点を評価しているのですが、フレッチャー氏は、まずこの作品を書いた子どもの気持に寄り添っているのがよく分かります。

 このように実際に教師が行ってしまったことが正直に書かれています。

 これは、他の教師だけでなくて、フレッチャー氏自身も、自分の教員研修者としての、うまくいかない点や現実も書かれています。

→ いいことだけを書いているわけでもないし、悪いことだけを書いているわけでもないし、その切り取り方と量と質がとてもいいのです。

○ 題の付け方が上手い。

→ 単に読者をひきつけるだけでなくて、氏の言いたいことが、その題に象徴されていることが、最後の章をつかって説明されています。

○ やはり、終わり方が上手い! です。

*****

 と、ここまで書いて、
今日の題に書いた「いい本は少なくとも2回楽しめる」ということを考えました。

 もちろん、一回は読み手として。

 もう一回は、書き手として、です。

 後者ですが、子どもたちに「大好きな本」を挙げてもらって、「その大好きな本」を書き手の目から見て、いいところを考えてもらう、というのも、WWで、時には行ってみるのもいいのでは? と思いました。

 もちろん、いいところを考えるときに、ジャンル別に分けてもいいと思います。

 もし、同じ本を好きな子どもが複数いれば、「書き手として一緒にその本を眺めていいところを考える」ことをしてみると、きっと違うポイントも出てくると思います。

 「あ、あの人はこんないい点に気付いていた」と、複数の目でみれることは、書き手だけでなくて、読み手としての成長にもつながるように思いました。

*****
なお、上に書いたことの出典情報は以下です。
Ralph Fletcher著 Walking Trees、 Heinemann, 1991
詩についての章は139-154ページ、題について説明している章が201ー215ページ、そして見事な終わりはエピローグ217−222ページです
*****

 余談です。このブログを書いていて、フレッチャー氏の上手さの一つに、「終わり方がある」と思いました。

 各章の終わり方だけでなく、本全体の終わり方も見事なのです。素晴らしい着地です。

 着地が決まってから書いているのかな?と思えるぐらいです。どうやってこの見事な着地を決めたのかと、興味津々です。

 しかし、着地の見事さに気付いたからといって、すぐにそれが使えるーー(例えば、このブログでいい着地ができる)わけでもありません。このあたりは、「スキーの滑り方」のビデオを見るだけでは、滑れないのと同じなのかもしれません。

2010年11月1日月曜日

Nさんの作品

みなさんこんにちは。岩瀬です。
WWの実践、その後いかがですか?

さて、このWW便り、ボクもこれから発信していこうと思います。
よろしくお願いいたします。

さて、ボクのクラス(小4)の「作家の時間」。

この日作家のいすに座ってくれたのは、Nちゃん。
読者である子どもたちに大人気の作品となりました。
どのあたりが人気の秘密だと思いますか?
皆さんがカンファランスするとしたら、どんなところをほめますか?
どんなところにアドバイスしますか?

ちなみに最近のミニレッスンでは、あまんきみこさんの

「車のいろは空のいろ」

をみんなでブッククラブで読んだので、その本を使いました。

あまんさんは登場人物の心の中の呟きを(   )で書きます。

それを扱ったので、きっとNさんはそれを多用しているのだろうと推測しています。


ボクは、Nちゃんのこの作品が大好きです。

ではお読みください!



                   *   *   *


「え”-!!」

今日は土曜日!!私は友達と遊ぶ約束をした。

○○くんと△△ちゃんだ。○○くんとは、5年生にいる○○○○くんのこと。

△△ちゃんは、1年生のときに私の小学校にいた友達。

遊びは虫取り。森の中で虫を探す。

なんて盛り上がっている場合じゃない。

私は昔から夏に森で虫取りするのが大嫌い!

理由は、「カ」にはさされるし、たまにオオスズメバチがでるし、へんなちっさい虫は大群でとびまわっているからだ。

ぜったい森なんか入りたくない。

でも行かなくちゃいけない。集合する時間になってその場所に集まった。

集合場所にいくとちゅうで、私はこう思った。

「なんで森ー!?林でいいじゃん」

私の一番きらいな森のパターンは、うっそうとしているジャングルみたいな暗い森。

そして私たちは自転車に乗って森へ向かった。

向かっている途中で、私はこんなことを考えていた。

「うあーじごくの森がどんどん近づいてくるー。サイアクじゃん。」

こんなへんなことを思いながら、道路わきを走っていた。

「ねー林じゃだめなの?」

「だめにきまってるじゃん。だって森じゃないとかぶとむしとかいないもん。あ、ついた」

私は森を見てホッとした。その森は人もけっこういて、虫もあまりいなそうな森のような公園だったからだ。

そのとなりには、ジャングルみたいなお墓のある、すごくコワイ森があるからだ

私はよかったーと思いながら、森みたいなよくわからない公園に向かって歩いていった。



そうしたら、○○くんがこう言った。

「どこ行くんだよー森はあっちだよ!」

と言っておはかのあるコワイ森のほうをゆびさした。

そして私はこう言った。

「エーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!」

そうしたら次は△△ちゃんが言った。

「当たり前だよー。だってあんなに幼稚園生とかちっちゃい子がいるところに、4年生がいたら変じゃん。

 もしそこにうちらが入ったら目立つよー!。てつ、行こ。」

△△ちゃんは○○くんのことを、「てつ」と呼ぶ。私もよく「てつ」と呼ぶ。

でも今はそんなこと考えている場合じゃない。

○○くんと△△ちゃんがコワイ森に入っていく。

「ねー、もう早く来ないと先いっちゃうよ!」

私はいやでいやでしかたがなかった。

だってこんなところ、1回も入ったことがないところだったんだから。

(おそろしい・・・・)

と私は思う。

でも○○くんと△△ちゃんが、

「早く来てよ!」

っとうるさく言うので、しかたなく、恐ろしい森へと入っていった。



私は森の前で少しだけ立ち止まった。

でもあとの2人は、すんなりと森へ入っていく。

(意味がわからん・・)

森へ私も入っていった。

となりの公園には、たくさんの楽しそうな子達の声がいっぱいひびいているのに、私たちが今いる森はしんとしている。

(せめて、光でもさしこんでくれればいいのに)


私はたくさんならんでいる木をみながら○○くんと△△ちゃんについていった。そのとき。

「ぷーん ぷーん」

なんと、私は大っきらいな、ちっさい変てこな虫の大群の中にいた。

2,3秒たつと虫の大群はにげていった。

(逃げたいのはこっちのほうだ!)

私は思った。


そしてまた森の中を私たちは歩いていった。

そしたらなんかの昆虫がひっくり返って、身動きがとれなくなっている。

私はその昆虫をもとどおりにしてやった。

その虫はうれしそうにどっかに消えていった。

でも私はぜんぜんうれしくない。

だってさっきひっくり返っていた虫はゴキブリだったから・・・・

つまりそのゴキブリをもとどおりにしてやったとき、私はゴキブリのおなかをさわっていたことになる。

(なんかわるいことやったかなー。バチがあたったのかなあ)

ゴキブリを・・・・



            *  *  *


WWのミニレッスンで、今までのクラスの子の作品を読み聞かせすることもあります。

同年代の子が書いた作品、というのはとても刺激になるようです。

機会があったらこの作品もぜひクラスで読み聞かせてみて下さいね。


ではまた!

2010年10月30日土曜日

もし、書くことに関して、たった一つのことしか教えられないとすると、何を教えますか?

(昨日、投稿したのですが、うまく配信いかなかったようですので、再度、貼り付けます。もし、同じようなメールが昨日届いていましたら、すみません)。

「もし、書くことに関して、たった一つのことしか教えられないとすると、何を教
えますか? 」
 という質問を、今日のブログの題にしました。

 みなさんは、何を教えようと思われますか?

 自分にあった題材を見つけること? 
 自分の伝えたいことを持つこと? 
 毎日書くこと? 
 読者意識を持つこと? 

 少し考えるだけでも、いろいろ出てきそうです。

 これについては、今日のブログに最後に書きたいと思います。

*****

 さて、上のことから少し離れて、以下のような教室の様子を想像してください。

 集中して、一心不乱に書いている子どもがいます。30分ぐらいたったところで、一心
不乱に書くのをやめて、立ち上がって、友達のところにいって、さっそく、意見を求
めています(=つまり、ピア・カンファランスが始まっています)。

 このクラスでは、こんな感じの子どもが多いようです。


 どんな印象をもたれましたか?

 実はこれは、このブログで、以前にも紹介したアトウエル氏の本の中で描かれた教室のひとこまです。

 そして、アトウエル氏は、こういう子どもたちの様子を見て、「これはまずい!」
思ったようです。

 というのは、「最も大切な読者である、自分を飛ばして、ピア・カンファランスを
求めているから」です。


 そこで、アトウエル氏は「自分とカンファランスをする」ということを教えています。

 「自分とカンファランスする」ときのガイドラインも、子どもたちと一緒につくって
います。

(以上はNancie Atwell, In the Middle, Boynton/Cook, 1998 の246-249ページより)

→ これを読んでいて、自分のクラスで、「自分とカンファランスするときに、役立
つ質問」を子どもたちとつくってみるのもいいと思いました。

 アトウエル氏も上の本で指摘していますが、自分がカンファランスでよく尋ねる質
問、子どもたちが先生や友達から、尋ねてもら って助けになった質問、役にたった質
問などを挙げていけば、「自分とカンファランスするときの質問リスト」もできそうです。

*****

 さて、最初の質問ーーー書くことに関して、たった一つのことしか教えられないとす
ると、何を教えますか?ーーーに戻りますが、私は『ライティング・ワークショッ
プ』の著者たちが言っていることに、とても共感しています。

 それは「読み直すこ と」を教えるです。
(『ライティング・ワークショップ』(ラルフ・フレッチャー、ジ
ョアン・ポータルピ著、新評論、2007年、90ページ)

 自分の教えている生徒を見ていても、そう思います。

 そして読み直すことが、つまり、「自分とのカンファランス」なんだと思います。

2010年10月22日金曜日

書かない子をどうサポートするか (2)

10月8日に続いての「書かない子をどうサポートするか」の2回目です。

RWの中で「優れた読み手が使っている方法」★を教える際に、もっとも効果的な方法は「読み聞かせ(read-aloud)」ではなく「考え聞かせ(think-aloud)」です。

読むことは、頭の中で起こっていることなので当然見えません。しかし、読む時はいろいろ考えます。その考えていること=優れた読み手が使っている方法を、声に出して語ってしまおう、というのが「考え聞かせ」です。そうすることで、教師(=子どもたちよりははるかに優れた読み手)が読む時にしていることが、初めて見える(聞こえる)ようになるわけです。「読み聞かせ」だけでは、残念ながらそれが見えるようにはなりません。★★

⑦ 書かない子/書けない子たちにとっては、この「考え聞かせ」をWWに応用した「書き聞かせ(write-aloud)」が効果的です。

書かない子/書けない子は、書ける人がどういうふうにして書いているのかをイメージできていないという問題があります。そこで、教師が実際に書く時、考えていることを声に出しながら書いていくのです。一文を書きだす前に、たくさんのことが頭をよぎります。それを全部言葉にして表してしまうのです。(実際に書くことの数倍を考えることもあるはずです。)次の文を書く前にも、ひょっとしたら書きながらも、いろいろなことを考えると思いますが、それも語って聞かせます。

このようにして、文章を書いていく時に考えていることを見えるようにしてあげるわけです。教師がいろいろ考えながら、苦しみながら、挑戦しながら、間違えながら、そして楽しみながら書いているのをナマで見せるのは、とてもインパクトがあります。

もう一つは、⑧ 子どもたちと一緒に書く方法(shared writing)があります。
子どもたちも興味が持てるテーマを設定して、子どもたちにも参加してもらいながら、一緒に文章を黒板に書いていくのです。もちろん、書かない子/書けない子たちだけを集めて、一緒に書くこともできます。とにかく、一人ではまだハードルが高いのを協力し合って書いてしまおう、また実際文字にする部分は教師が担って文章を書き上げる体験をするのです。文字のきれいさや正しさなどを気にせずに、自分が考えたことを発現するだけで、それが文章になっていくのですから、ハードルはかなり低くなりますし、協力し合って書くことは楽しいです。思わぬ発想も含めて、いろいろ異なるアイディアが出されますから。

「書き聞かせ」をする時も、「子どもと一緒に書く」時も、たまには意図的に間違えてください。そうすることで、子どもたちの修正・校正能力に磨きをかけられますし、最初から完璧な文章を書く必要はなく、下書き段階の間違いはOKという雰囲気もつくれます。

いずれか(ないし両方)試された時は、ぜひ実践報告を送ってください。(下のコメント欄か、e-mail: pro.workshop@gmail.comにお願いします。


★ 関連づける(自分と、他の本と、世界と)、質問する、イメージを描く、推測する、何が大切かを判断する、解釈する、自分の読みを修正する、批判的に読むなどが含まれます。これらの具体的な教え方については、『「読む力」はこうしてつける』(吉田新一郎、新評論、11月刊行予定)をご覧ください。「考え聞かせ」の具体的なやり方も紹介されています。
もちろん、「優れた読み手が使っている方法」はRWの中だけでなく、従来の国語の授業として扱うことはできます。しかし、教え方に注意しないと、従来の授業形態では身につかない可能性はあります。ポイントは、それらの方法を子どもたちが自分にあった本を使ってたくさん練習する時間を確保することです。

★★ だからといって「読み聞かせ」や自分でたくさん読むことに価値がないわけではありません。それらをすることで、書く題材のヒントや作家の技は蓄積されていきますから、とても価値はあります。特に、書かない子/書けない子をサポートする際のそれらの活用法ついては、別の機会に触れたいと思います。

2010年10月15日金曜日

30以上の分類になった!

9月17日のブログにメンター・テキストの書き込みがあります。

私自身、WWのカンファランスで、うまくメンター・テキストが使えた!と思えたこともあります。

しか し、「○○ということを教えれる短いテキストがあればいいのに」と思うの
ですが、具体的な本がさっと出てこないことも、よくあります。

そんななか、Katie Wood Ray の Wondrous Words   (NCTE, 1999) を読んでいて、
どうして自分がうまく使えていないのか、分かったように思いました。

(Katie Wood Rayさん の書く本は、なんともいえないいい雰囲気の語り口で、教室
の様子を知らせてくれるいい本が多いですが、これもそのうちの1冊です。)

以下の上の本からのメモで、(  )内は、該当のページ数です。

Katie Wood Rayさんは、他の人から「どんな本をもっていて、それがどんなふうに
(WWの)授業に役立っているか教えてほしいなあ」と言われると、「はい、これが本
のリストです」と渡すのを躊躇するそうです。

その理由は、「本には、書名を並べるだけでは伝えきれないことが、とてもたくさん
あるからだ」と書いています。(139ページ)。

さて、WWで、本にはいろいろな使いかたがありますが、Katie Wood Rayさんは、「作品の構
成を教える」と「言葉ができることを教える」という目的で、使うことが多いと書い
ていますについて(140ページ)。

この本の7章(139-159ページ)は、「作品の構成を教える」ための本(主に絵本や短
い本)について書かれているのですが、いろいろな作品の構成を教えるために、教室の本を、
構成別に分けてみたら、なんと30以上の分類ができた!とのことです。

(もちろん、一つの本で、複数の構成分類に属する本もあります)。

しかも、「子どもたちが書き手として、作品のこういう構成の仕方を学べるとよいの
では」と、自分の教えている子どもたちを念頭においた分類です。

すごい、と思いました。

私は自分の教室にある本を、「書き手にこういう構成を教える」という視点で分類したと
きに、いくつかの分類がすぐに浮かび、そしてそれに該当する本がいくつかすぐに浮
かぶだろうか、と考えさせられました。

それができていないから、うまく本をミニ・レッスンやカンファランスで使えていな
いのかな? ということは、
逆に言うと、教室の図書コーナーの絵本を、「作品の構成を学ぶ」とい
う視点で、いくつか分類してみることで、教師がつかえる本が増えてくるように思い
ます。

子どもたちが帰ったあとの放課後の15分を、時にはそんな時間にとってみるのもいいかもしれません。

Katie Wood Rayさんのそれぞれの分類には、それぞれに複数の本が挙げられています。30以上の
分類をここで紹介することはできませんし、どの本に邦訳があるのかが、いまいちよ
く分かりません。

それで、ごく少しですが紹介します。(邦訳が見つけられたものは邦訳も)

○ 最初と最後がつながっている構成

例 『マンゴー通り、ときどきさよなら 』 (サンドラ・シスネロス 著)

 書き出しと終わりがつながっている(例えば、同じ場所)。

 書き出しと終わりに、同じ言葉が使われるこ ともある。

 しかし、終わりの言葉は少し違っていて、話が進んでことがわかることもあ
る。同じドアから出て、また入る、というイメージ(145ページ)

○ 大切な質問で始まり、残りはその質問に答えていくの形で構成 (146-147ページ)

例 『パリのおつきさま 』 (シャーロット・ゾロトウ 著) 

→ この本は私は読んでいないので、いまいちイメージがわきませんが。。。

○ 会話で構成(147ページ)

○ 時間は一定、その時間でいろいろな場面(場所)を描く構成(148-149ページ)

○ 無生物が語り手(154-155ページ)

*****

おまけ。。。で、私には本当に予想外で、インパクトが強かった本から、その構成を考えてみました。

○ ずっと繰り返しが続いて、それが最後に予想外に崩れた(?)ところで終わる構成

『だから?』 ウイリアム・ビー著 (→ まだ読まれていない方は、ぜひ、驚いて(?)ください。)

2010年10月8日金曜日

書かない子をどうサポートするか (1)

WWをやりはじめると、従来の作文よりははるかに書ける子は増えますが(量的にも、質的にも)、それでも数人の書かない子/書けない子には悩み続ける場合があります。

そこで、今回は「書かない子へのサポートの仕方」がテーマです。

2010年8月4日のブログですでに紹介したことのある『When WW Isn’t Working(WWがうまく行かない時の対処法)』(Mark Overmeyer著、Stenhouse, 2005年)の第2章で示されている6つの方法を紹介します。

① 書けないこと/書かないことを、書くことがないのではなく、たくさんある中から選べない問題と捉えると対処法が違ってくる。(→ RWの選書=本が読めない/読まないのではなく、自分にあった本が選べない問題と似ている)
「誕生日」一つとっても(あるいは、「夏休み」「水泳」をとっても)、書けることはありすぎる。たとえば、「ペット」で書きたいと言っても、逃げた、穴を掘る、おじいちゃんとの関係、ほえる/ほえないなどなど、いろいろあり得る。「友だち」の場合も、いじわる、親切、けんか、遊び、問題を起こしたときなどなど、いろいろな可能性があり過ぎる。選ぶ/絞る方法を、教師が実際に見せる。または一緒にやっていく。

② 書く題材を引き出すための教師によるインタビュー  → カンファランスの醍醐味
もちろん、この応用として書けない子による書けている子や友だちへのインタビューや、書けている子による書けない子へのインタビュー(要するには、ピア・カンファランス)が考えられる。しっかりいいモデルを示した上でやると、教師がするのと同じぐらいか、それ以上の効果がある。

③ メンター・テキストを使って(ブログの2010年9月17日を参照)
たとえば、『月夜のみみずく』(お父さんとフクロウを見に行った楽しい思い出)や『てん』(絵を描けなかった私が描けるようになった話) ~ 具体的な事例でイメージがつきやすくする。本物の作家がしていることを事例として示す。

④ 「書き手、読み手、ジャンル、テーマ」を設定した上で書く
例: 書き手は生徒。読み手はテストや成績で脅迫する教師(または親)。ジャンルは手紙。テーマはテストか成績。
あるいは、葉っぱが散るのをいろいろなジャンルで書いてしまう、というのもオススメ。手紙や詩など、通常ではあまり書かないのがいい。

⑤ 自分のことについて書くことに乗り気じゃない生徒たちにとっては、ノンフィクションがいい。社会か理科の内容を使って。たとえば、恐竜、宇宙、虫など。
書く方法は、④を使ってもいい。

⑥ 写真や絵に描かれていることを書く
他の子たちには見られないように、一人ないしペアで描かれていることを書く。
写真を前に展示し、番号をつけ、それぞれ読まれる文章は何番の写真かを当てる。
読み手意識を持たせることになる。
写真や絵に代わりに、じゃがいもや石を使ってもできる。


自分は書き手という意識が持てれば、爆発できる。そうじゃないと、とどまり続ける(=嫌いなまま)
読み手意識も大切。
④以降のサポートの仕方は、何をどう書くかを指示してしまっている。自分で書き始められることに越したことはないが、それがなかなかできない子たちには最初のきっかけを与えてあげることは大切。
特に、④の例のように、多様なジャンルを知れる(体験できる)ことは、とても大切。自分がどのジャンルで輝けるかわからないから。(その意味でも、創作文=物語に固執しすぎるのはよくないというか、他のジャンルで書く機会をできるだけ提供する役割が教師にはある。世の中で生きていくのに、私たちが実際書くのは9割以上がノンフィクションです!)

2010年10月1日金曜日

短いので、メンター・テキストとしても扱いやすい詩

 9月3日のブログで紹介したアトウエル氏は、A Poem a Day: A Guide to Naming the World (Heinemann, 2006) の中で、毎日の短時間の詩のレッスンの締めくくりのポイン トとして、子どもたちに「詩の読み手、書き手として、詩の新しい可能性を見 いだせ るようにすること」つまり、今日授業で読んだ詩のように「こういうこと もできるのでは」と気付 かせることを大切にしています(26-27ページより)。

 これを読んで、それほど長くない詩は、短いメンター・テキスト(9月17日のブログ参照)としても、とても有効な気がします。 絵本や小説よりも短いものであれば、子どもにとって把握もしやすいし、教師にとっても短時間で提示できるという のも魅力です。

***

 さて、私の先週のWWの時間ですが、ひとりの生徒が下書きの段階で、ノートに音楽の魅力を断片的にいくつか書いていました。しかし、このままでは形になりませんし、本人も、どうまとめていいのか方向性が見えないというか、まだそこまで考えていないという感じでした。

 そのときに、ふと昨年の生徒の書いた詩をひとつ思い出しました。

 この昨年の生徒は、最初にこれから 書くことを簡潔にまとめた文を書き、そのあとにずっと具体例を並べて、最後に「だから大好き!」みたいな感じの文でまとめていました。

 その詩を見せたとたん、その生徒は急に自分の書くことの構成について、自分のイメージが生まれ始めたようでした。

 短い詩だと、短時間のカンファランスでもメンター・テキストとして使うことができ、しかも文の構成というかなり大きなトピックを扱える、と思えた瞬間でした。

*****

 短時間で使える詩のメンター・テキスト、これの可能性を感じられたのはいいのですが、やはり自分の中のメンター・テキストのストックの少なさ(特に詩!)に、がっかりです。

 詩を読むときに、しっかり味わったあとに、これをメンター・テキストに使う場合、ここから何を教えたい? (例えば、構成? 単語の使い方? 詩人の技? 等々)と問いかけてみて、付箋を貼ってみようかなとも思いました。

 絵本などを読むときは、「これは会話文を教えるのにいい」、「これは書き出しを教えるのにいい」、「これは物の立場から書くということを教えるのにいい」等、わりと考えることがありますが、詩については、あまりそういう目でみたことがありませんでした。

 書き手の目、つまり詩人の目で読むーーこれは未知の世界ですが、なんだか楽しそうです。

 今日の冒頭に書いた「詩でこんなこともできる」と気付けるかもしれません。

2010年9月24日金曜日

また同じ(?)ミニ・レッスン

 『ライティング・ワークショップ』の原著者である、ラルフ・フ レッチャー氏とジ
ョアン・ポータルピ氏は、多く のいい本を出しています。

 その中には、以下のクラフト・レッスン集(「作家の技」を教えるミニ・ レッスン
集のような感じです。これをカンファランスに応用する ことも、もちろん可能です)
が2冊あります。

Craft Lessons: Teaching Writing K-8
Ralph J. Fletcher (著), Joann Portalupi (著) (Stenhouse, 1998)

Nonfiction Craft Lessons: Teaching Information Writing K-8
Joann Portalupi (著), Ralph J. Fletcher (著) (Stenhouse, 2001)

 また、「作家の技」以外も含めての、多岐にわたる項目とその教え方を書いたカー
ド形式のものとしては、以下があります。

Teaching The Qualities of Writing
Joann Portalupi (著), Ralph Fletcher (著) (Firsthand, 2004)

 WWを始めた頃は、ミニ・レッスンに何を教えようかと迷ったときには、 この3冊を
よく見ました。

 目次を見ているだけでも、「あ、こんなこと もできる」とヒントがたくさんありま
した。3冊とも、アイディア満載の超実用的な本です。

 毎年、違う学習者が教室にやってきます。その学習者を見てい て、「次のミニ・レ
ッスンはこれにしよう」と、学習者を見ることから、ミニ・レッスンの予定が決まる
ことも多いです。

 自分の中にミニ・レッスンのストックがいくらかあることで、学習者の観察から、「そろそ
ろ○○もおしえなくては」と思えるときもあるようにも思います。

 そう思うと、人のミニ・レッスンを聞いたりして、いろいろストックを増やしてい
くのも大切な気がします。

 ところで、上のように思う一方では、毎年、ほとんど必ずミニ・レッスンで扱う項
目もあ ります。

 今日は、私がよく扱う項目5つを、短いコメントとともに紹介します。

  もちろん、これは教えている学習者によって変わると思いますが、時には、
「毎年、ほとんど扱う項目」とその理由の意見交換をしても面白いかもし
れません。

 ○ 仮題をつけて書き始め、あとで題を磨く
(Craft Lessons: Teaching Writing K-8, 104ページ)

→ まず仮の題をつけることで、何について書くかということが決まる。

 まず仮の題をつけて、どんどん書いて、そしてある時点で、題を見直す。

 これは、とても納得しました。最初から、いい題をつけてスタートしようとする
と、まず無理です。

 「いい題のつけかた」というミニ・レッスンをする前に、まず、これが必要だと思
いました。

○ どこから始めるかを決める
Craft Lessons: Teaching Writing K-8, 80ページ)
 
→ 例えば、タイムラインをつくり、書きたいことを時系列で整理したあとに、さ
て、どこをスタートに書き始めるかを考える。

 学習者の中には、いきなり、構想を練らずに、最初の段落の1文目から、「起こった
順」に書きはじめる人も、けっこういるからです。

 こういう方法を知っていると、全体を大きく見るといういい練習になると思いました。

 
○ ビザの一切れ(Craft Lessons: Teaching Writing K-8、58ページ)

→ これは「夏休み」とか「家族」みたいな大きなトピックを扱うときに、焦点を絞
るということです。

ピザ全部を食べる代わりに、ピザの一切れ一切れが、家族のメンバーとすれば、例え
ば「おじいちゃん」とか、一切れだけに焦点をあてて書く。

そしておじいちゃんというトピック自体も大きなトピックなので、さらにおじいちゃん
のいろいろなことから、何か一つに絞って書く、そんな感じです。

→ 私の教えている学習者には、これはけっこう難しい印象です。

やはり、できるだけたくさん、いろいろな情報を提供しようとします。

どうしても、ピザ全部を扱いたいときは、シリーズものにして、一切れ一切れを
別の作品にするのはどう? と、私は提案してみることもあります。

○ 書き出し Teaching The Qualities Of Writing, D17-D-22)

○ 書き終わり Teaching The Qualities Of Writing, D23-D26)

→ いろいろな書き出し、いろいろな書き終わりがあることを知る、これはやはり定番、一度は扱
っておきたいと、いつも思います。

本を読んでいるときに、書き出し、書き終わりの
いい本があると、「あ、これ使おう」と思うこともあります。こういう情報交換も大切だと思います。

*****

 ☆ そして最近は、先週のWW便りに登場したメンター・テキストを豊かにしたいと思っています。

例えば、、「一人称でなくて三人称で書いてみる」、また、「違うジャンルや形式」
を楽しむ、こういうのは、やはりメンター・テキストからヒントを得ることが多いと
思うからです。

教えるのは先生ひとり、でなくて、世界中の作家が先生、というのもWWの魅力の一つですし。

 来年の今頃、定番ミニ・レッスンがどう変わったか、また振り返ってみたいとも思います。

2010年9月17日金曜日

教師と生徒の力強い味方「メンター・テキスト」

 私たちは真似することで、いろいろなスキルを身につけていきます。
プロの作家もそこからスタートしている人たちが多いぐらいですから、小学生、中学生、高校生、大学生が同じことをやらない手はありません。むしろ、積極的に奨励しようというのが、このメンター・テキスト(師匠代わりの本)を使うという方法です。

 メンター・テキストの選び方は、
  ① 選ぶ教師自身が好きであること。
  ② 教えた「作家の技」がたくさん使われていること。つまり、単にストーリーが面白いというだけではダメということ。
  ③ 子どもたちのニーズとカリキュラムのニーズの両方を満たしていること。
  ④ 子どもたちにも気に入ってもらえること。
  ⑤ 多様なジャンルのメンター・テキストを探すこと。

 メンター・テキストの使い方は、
  ・ まずは、読み聞かせからスタートです。何よりも、子どもたちに気に入ってもらうことが先決ですから。
  ・ その後で、いろいろな形で使いこなしていきます。ミニ・レッスンで作家の技を教えるのに使ったり(作家の目で読んでもらったり)、個別(やグループ)カンファランスで使ったりします。要するに、メンター・テキストは子どもたちが自分でも試してみたくなるような書き方を多く含んでいるものが好ましいわけです。
なお、ミニ・レッスンやカンファランスで使う時は、本や絵本を全部使うことはありません。目的に適した部分のみを選んで使います。(子どもたちはストーリーをすでに知っているので、一部のみを使うことができるわけです。)
  ・ さらには、作家の技等を学ぶだけでなく、書く題材を見つけるのにも使います。

 メンター・テキストには、よく絵本が使われますが、その理由はいくつかあります。
  ・ 短時間で読めるだけでなく、年間を通して繰り返し読める。
  ・ 子どもたち自身で作家の技を探すことも容易にできる。
  ・ 子どもたちに真似して欲しい内容をたくさん含んでいる。
  ・ 長さは、質とは関係ないことにも気づいてもらえる。(短い方が、文章や作家の技が選りすぐられていることに気づける)
  ・ 何よりも魅力的なイラストが描かれている。読むのが好きではない子にとっては、それがあることが大いに助けになる。

 もちろん、メンター・テキストを絵本に限定する必要はありません。効果的なメンター・テキストの条件を揃えていれば、何でも使っていいし、また使うべきです。多様な方が好ましいです。(もちろん、教科書の中にある教材もメンター・テキストの候補に含まれるとは思いますが、上の5つの基準にあわないと、はずれてしまう可能性はあります。)

 以上は、Mentor Texts: Teaching Writing Through Children’s Literature K-6, by Lynn Dorfman and Rose Cappelli, Stenhouse, 2007を参考に書きました。

 具体的にどのような本がメンター・テキストとして使われているかというと、たとえば
    ジェーン・ヨーレンの『月夜のみみずく』
    ピーター・レイノルズの『てん』
    クリス・ヴァン・オールスバーグの絵本
    レオ・レオーニの絵本
    メム・フォックスの『おばあちゃんのきおく』
    バード・ベイラーの『だれにも石が大切』
    E.B.ホワイトの『シャーロットのおくりもの』
などです。「メンター・テキストの選び方」を参考にして、年間に数冊用意できるといいのではないかと思います。日本人が書いたのでいいのがあったら、ぜひ教えてください。

2010年9月10日金曜日

書くことにおいて「親切で、具体的で、助けになる」フィードバックとは?

8月27日のブログに、That Workshop Book (Samantha Bellnett著、Heinemann, 2007)で、他の人からの「親切で、具体的で、助けになる」フィードバックが、作品をよくするとてもいい手段なので、そのことを教える、という話を書きました。

 同じく8月27日のブログに「私自身、『親切で、具体的で、助けになる』フィードバックの価値を実感したのは、比較的最近のことなのです」と書きました。実感したのは、やはりそれで自分の書いたものがよくなるのが分かるからです。

 少し前には、最初に書いたことが、何度もフィードバックをもらう中で、最終的にほとんど原型をとどめなかったこともありました。

 また、ごく最近では、「ここまで批判的に書いてもいいのかな」とか「こういうふうに書くと、どう受け取られるのかな」と、自分の書いたもののトーンというか、内容に大きく関わる部分でかなり迷うことがありました。それで、「親切で、具体的で、助けになる」フィードバック」をしてくれるのが分かっている人に送り、そのフィードバックのおかげで励まされて、書き上げられたこともあります。

 さて、先日、リーディング・ワークショップについて一緒に学んでいる先生たちに、私のブログに書いた原稿とその他の原稿を使い、ごくごく短時間(3~4分?)で、「親切で、具体的で、助けになる」フィードバックを付箋に書いていただくという時間を持ちました(そのときに、その先生たちから、「親切で、具体的で、助けになる」に加えて、「言うべきことは言う」というフィードバックも大切だ、と学びました)。

 そこで今日は、「親切で、具体的で、助けになり、かつ、言うべきことを言うフィードバック」例と、それを受け取る側になったときのことを共有したいと思います。

 もちろん、下に書くことは、私の個人的な例です。「親切で、具体的で、助けになる」というフィードバック例は、人間関係やクラスの雰囲気にもよって、変わってくると思います。ライティング・ワークショップが動きだしたら、それぞれのクラスで、いいフィードバック例のリストをつくることがあってもいいのかもしれません。

 まずどんなフィードバック例があったかと言いますと、「質問する」、「選択肢を提示する」、「分かりにくい点、あまりいい表現ではないという点を指摘する」、「足りない点を指摘する」、「具体的にいい点を指摘する」などです。

★ 質問する。
 
「大切な友達」の手法(『作家の時間』69~72ページ参照)でも学びましたが、質問というのは、フィードバックのとてもいい方法だなと思いました。何よりも、フィードバックを受け取る側として、受け入れやすいし、考えさせてくれるのです。

 例えば、「文が長い。どこで切ればいいと思う?」と、答を本人に委ねる質問もありました。また「○○とは、人の名前ですか?」という質問から、読者にとっては分かりにくい点も、質問されることで気付くことができると分かりました。

★ 選択肢を提示する。

 よりよい単語や表現、よりよい語順など、あるいは「○○○○○○が、まわりくどいので、△△△△△△」のほうがいいのでは」と、一言、理由つきで、選択肢を提示というのもありました。

★ 分かりにくい点、あまりいい表現ではないという点を指摘する
 ある箇所に下線をひいて、「分かりにくい表現」、「不自然な表現」と書き込む形での指摘です。

★ 足りない点、あればいい情報を指摘する
→ 実は上の2点(①分かりにくい点、あまりいい表現ではないという点の指摘、②足りない点、あればいい情報の指摘)は、書いている本人にとっては一番気付きにくい点だと思いました。指摘する方は、もしかすると、こういう指摘したくないかもしれませんが、実は、これは指摘される方にはとても有り難い、と私は思いました。

★ 具体的にいい点を指摘する
 「良い出だし(書き出し)」とか「基準を明確にしてあるのが有り難い、自分で行うときの参考になるから」など、よいと思ったところを具体的に書いてくれている付箋もありました。
→ これは、「親切で、具体的で、助けになる」フィードバックなのでしょうか? 私はそう思います。もちろん、まず、嬉しいですし、励みになります(なので、親切なフィードバックと言えると思います)。かつ、例えば、今後、大幅修正や大幅削除をするときに、「ここを残すか否か」という一つの判断材料にもなる、と思いました。

2010年9月3日金曜日

(質問)「作品をつくるときの好きなジャンルは?」 → (答え)「詩!」

 突然ですが詩について書きます。そして、WWのブログですが、書くことだけ、というよりも「読み書きのつながり、つまり、書けるようになるために読む、そこから学ぶ」、そんなことについて書きます。

 中学生のクラスの子どもの2学期の「自己振り返りシート」を見ていた先生が、 「どのジャンルで書くのが好きですか?」という質問に、なんとクラス全員の子どもが「(特に形の決まっていない)詩」と答えていた、と気づいたそうです。

 この中学生のクラスとは? と言いますと、ナンシー・アトウエル氏のクラスです。(おそらく何度か名前を聞いたことのある方もいらっしゃると思いますが、RW/WW に大きな貢献をした中学校レベルのとてもとても有名な実践者です)。

 「どうしてそのジャンルで書くのが好きですか」という質問については、「素晴らしい時間をもう一度生きることができる」、「見たり、聞いたり、感じたりしたことを描写しようという、知覚・感覚的チャレンジが好き」、「表現に限界がない。自分のあらゆる思いを、具体的かつ美しく言葉にできる」等々、すごい答えがたくさん紹介されています。

 上のことはアトウエル氏の Naming the World: A Year of Poems and Lessons (Heinemann, 2006) とセットの A Poem a Day: A Guide to Naming the World の 最初のページに書かれています。

 ★ 生徒たちが、詩とは自分にとってとても強力な表現手段と感じている、そして中学生にとっては、このジャンルは、自分を表現するのにとても適したジャンルになっている、だから子どもたちは詩が大好きなんだなと思いました。★
 
 私はこの本を読みながら、詩ができることの素晴らしさというか、すごさに、目から鱗が落ちるような思いと、大きな感動をもちました(この本に限らず、アトウエルさんの本は、いい本が多いです)。

 A Poem a Day: A Guide to Naming the World には DVDもついていて、そしてNaming the World: A Year of Poems and Lessons の方は、アトウエル氏が厳選した集めた詩(200 以上)とその教え方が載っています。英語のいい詩(特に授業使えそうな)をさがしている人にも、いい本です(
中には教師が生徒をダメにしていく、みたいな恐ろしい詩もあります)。

 A Poem a Day: A Guide to Naming the World  の方に目を戻します。

 まずはいい詩に触れ、それらを使って適切に教えられること、これが基本です。

 アトウエル氏は自分にとって、授業で詩を選ぶ基準として4つ挙げています。

(1) 自分が好きな詩であり、それを共有するときに情熱を持って共有できる。

(2) 印象的で記憶に残るもの。そうすると、生徒の心に残る可能性もある。

(3) 自分の教えている生徒たちが、きっと好き、あるいは惹かれるだろうと思うもの。

(4) 詩とは何について書くことができるのか、そして、詩ができることとは何か -- これらについ
て、生徒が学べるような(いろいろな)詩

 → つまり、そういう幅をもって、いろいろな詩を扱っていく、ということです。

 → そうすることで、生徒は、詩でどういうことについて書けるのか、とか、詩を書くことでどういうことができるのかを理解できるようになってきます。(この4項目については、A Poem a Day: A Guide to Naming the World  4ページ) 

 『ライティング・ワークショップ』(新評論、2007年)に、「絵本には多くの利点があり、ワークショップに使うには理想的です。まず、そんなに長くないので一度のワークショップで読み終えることができます。また、短いことの利点はほかにもあり ます。書き出し、場面設定、話の進め方、山場、結末といった話の構成要素が、子どもたちにとっては複雑な長編小説よりもはるかに把握しやすいのです(97~98ページ)と書いてあります。

 詩は、絵本と同じように、(絵本より短いものもあるので)、それほど時間がかからずに、でもいろいろなことを沢山教えられるようです。

 アトウエル氏はワークショップの初めにみんなに同じ詩を配り、先生がその詩について、簡単に話したあと、先生がとても上手に読みあげて(A Poem a Day: A Guide to Naming the World 21-24ページ)、そしてそのあとで、それについて学ぶ時間を少し取ります。詩についての時間は
全部で10分でできるといっています(A Poem a Day: A Guide to Naming the World 3ページ)。

 そして、Naming the World: A Year of Poems and Lessons (3ページ)では、新学期の初めの授業で、ノートの一番上に「詩ができること」という題名を書いて、そしてそれから
2週間、詩について話し合いをしたあとで、その日に新しく学んだ詩から、そのリストを少しずつ足していくようです。
 
 その2週間が終わったあとも、「生徒は詩ができること」について新しく気付いたときは、そこに足していくようです。詩の学びは最初の2週間で終わるわけではないからです。

 アトウエルさんが上の条件に合うように選んだ詩を、アトウエルさんが上手に教えるので、子どもたちもいろいろなことを気付きます。
 
 子どもたちが気付いたこととして、そのリストにどんなことが書かれているかが、なんと
20項目ぐらい挙げられています。Naming the World: A Year of Poems and Lessons、3ページ)

 そこからいくつか紹介します。

○ 詩は何についてでも書ける

○ 私たちの感覚をくみ上げてくれるーー想像の中で、見たり、感じたり、聞いたり、味わったり。

○ 本質的なレベルで他の人と結びつけてくれる:心と知性から心と知性へ

○ 怒りを表現する、苦しかった経験を理解するのを助けてくれる

○ 感情を定義し、それを芸術につくりあげる

○ 日常生活を新しい視点でみれるようにしてくれる

○ 日々存在していることの美に気付く。私たちの周りに隠れている詩について目をひらかせてくれる。
 
*****

 いい詩をみつけたとき、いい詩を教えたときは、ぜひそれも記録に残し、共有し、蓄積していきたい、そういう詩の(共有)仲間が増えると、詩も教えやすくなるように思いました。そして蓄積ができてきたら、1日のどこかで10分とって、「その日の詩」を毎日教え、生徒たちもそこから学ぶ、こんな学校生活もいいなあと思います。

2010年8月27日金曜日

修正を教えるために、先生が書いている途中の自分の作品をつかって教えるミニ・レッスン (学習者同士でそれができるようになるために)

 こんにちは。

 8月20日の書き込み、ちょっとイメージしにくいという反応もいただいたので、もう少し補足したいと思いつつ日が過ぎてしまって申し訳 ありません。近いうちに、他の本も見つつ、もう少し補足できればと思っています。

*****

 さて、今日は「修正を教えるために先生が書いている途中の自分の作品をつかって教え る」ということについて、少し書きたいと思います。

 よい点を具体的にほめることは、『ライティング・ワークショップ』(新評論、 2007年)でも、推奨されています(41ページ、70-71ページ等)。しかし、教師から見てでき ていないと思う点をどのように扱っていくのかは、かなり工夫が必要だと思います。

 さて、That Workshop Book (Samantha Bellnett著、Heinemann, 2007)という本に、 よりよい修正(しかも子ども同士による)を教えるために、先生の書いたものを使 ってミニ・レッスンで教える、という方法が載っていましたので、紹介します。

 題材さがし、そして下書きをして、それで「完成!」と思う子どもが多いときに は、「修正してよりよくしよう」ということを教えるのには、絶好の機会だと著者は 言っています(125ページ)。

 (以下はこの本の125-130ページからです)。

 それで、「どうやって書き終わった(この作品は完成した)って分かるの? 近く の人と話してみて」と言って、それから子どもたちの発言を基に、クラスで「書き終わったとは?」というリスト をつくります.

(この本に出ているリストを見ると、例えば、「文法を直した」、「チェックリスト をつかった」、「ツールをつかった」等々と書いてあります。
もちろん、こういうこ とは一人でも二人でもできますが、特に友達に読んでもらうことを意識して書かれている印象はありません。人に読んでもらうのを意識した項目は一つだけで、それは 「いろいろなツールを使った」という項目のしたに、「辞書、類語辞典、エキスパー ト、メンター・テキスト」と書いてあって、このエキスパートは、クラスの子で自分よ り、ある分野が得意な子を意識しているのかもしれません)。

 それから先生は自分の書いている途中の作品を取り出します。そして「先生にとっ て、書いている作品をよりよくする最善の方法は、「親切で、具体的で、助けになる」フィードバックを、その作品にもらうことだ、といいます。

 そして、先生の作品をみんなにその場で読んでもらって、「親切で、具体的で、助けになる」フィー ドバックを一つ、付箋に書いて貼ってもらいます。

 そしてそのあと、子どもたちもそのミニ・レッスンで学んだことをお互いにしてみます。

*****

→ 「完成した」と思っている子どもたちに、「言語事項を直しなさい」、というのは簡単かもしれません。

 しかし、「作品をよりよくするために(校正でなくて)修正をする」ことを教えるのは、やはり修正してよくなったと実感しないと難しいと思います(修正と校正の違いについては、『ライティング・ワークショップ』(新評論、2007年)の85-88ページをご覧ください)。

 日常生活で、書いている作品をよりよくする最善の方法は、「親切で、具体的で、助けになる」フィードバックを、その作品にもらうこと」という経験が、教師も生徒も意外に少ないのかもしれません。

 教師自身が、自分の書いているものについて「親切で、具体的で、助けになる」フィードバックを誰かにする、あるいはしてもらう、そういう仲間が大切かも、と思いつつ読みました。というのは、私自身、「親切で、具体的で、助けになる」フィードバックの価値を実感したのは、比較的最近のことなのです。

 そして、実感すると、それはとても強力なので、益々そう思うのかもしれません。

 そういう仲間がいる人は、ぜひ「仲間にフィードバックをもらう前の作品」と「フィードバックをもらった後の作品」を、実際に子どもに見せて、その価値を熱く語るのもいいのではないかと思います。

2010年8月23日月曜日

番外編: WW出版事情

 WW(ライティング・ワークショップ)に関する本は、日本語でまだ2冊しか出ていません。『ライティング・ワークショップ』(ラルフ・フレッチャー他著)と、それをベースに日本での実践をまとめた『作家の時間』(プロジェクト・ワークショップ編著)です。
 正確には、2.6冊ぐらいと言うべきかもしれません。★
 0.6冊には2冊の本が含まれています。0.1冊分ぐらいは『アメリカの表現教育とコンピュータ』(入部明子著)の中に、WWとしてではありませんが、1970年代から90年代の初頭にかけてのアメリカの作文教育としておおざっぱに紹介されています。
 もう一冊は、正直読んでいませんので、0.1か0.9かわかりません。単純に間をとって0.5にしただけです。本のタイトルは『作文カンファレンスによる表現指導』(木村正幹著)で、カンファランスの仕方の紹介および自分の実践が紹介されています。★★

 それでは、本家のアメリカではどうか、ですが、1983年★★★に最初の本Writing: Teachers & Children at Work, by Donald Gravesが出版されて、1990年ごろからは、翻訳したくなるような本が毎年少なくとも10冊ぐらい出版され続けています。★★★★
 最近の傾向としては、WW全体を扱ったものよりも、作家ノート、メンター・テキストの使い方(本物の作家の作品をミニ・レッスンやカンファランスに使うこと)、小学校低学年でノンフィクションを書く、カンファランスの仕方、修正の仕方、評価を指導にいかに活かすかなど、WWの諸要素を扱ったものに移行しているのが特徴です。
 これは、実践する先生たちのニーズに応えていると同時に、実践している執筆者たちの関心がそういうところに向いている表れだと思います。(この状況は、RWにも同じように言えます。)
 とにかく、それらを読んでいると、WWが進化し続けているのが伝わってきますし、書いている人たちが楽しんで学び続けていることも伝わってきます。そして、その奥の深さも感じさせてくれます。さらに、新たに実践する/書く人たちもドンドン増えていることもです。(他にも、いろいろと気づかせてくれることはあるのですが、「書くこと」以外なので秘密にしておきます。)

--------------------------

★ 子どもを対象に限定した時は、です。
  大人が対象なら、https://sites.google.com/site/writingworkshopjp/teachers/osusumeで紹介している『あなたも作家になろう 』と『魂の文章術 』がお薦めです。

★★ このように、全体の一部だけを切り取って導入するのは、日本の大きな特徴のようです。RW(リーディング・ワークショップ)の領域では、有元さんがブッククラブを、足立さんがリテラチャー・サークルを紹介しています。
 府川源一郎編著の『読解力UP!小学校全体で取り組む「読書活動」プラン』(明治図書)という本があります。この中には、RWの要素がすべて含まれています。しかし、すべてバラバラでやっているので、残念ながら子どもたちの読む力はつきません。教師はやった気になれ、子どもたちも何かをした体験は記憶に残るかもしれませんが。
 トータルに扱うことが大切なのですが、ブツギリ(単元/教材/言語活動)・アプローチが大好きな日本にとって、これは一番苦手なことのようです。しかし、ある意味では、RWもWWも、難しいことはないわけです。すでに活動としては日本にも存在しているわけですから。そもそもの目標は何か、主役は誰かを設定し直せれば、いいだけなので。
 RWの翻訳本と、府川さんの本を比較読みしてみると、おもしろいかもしれません。

★★★ 実は、この本が出るまでには、15年ぐらいの助走期間があります。この点に興味のある方は、『アメリカの表現教育とコンピュータ』(入部明子著)を読んでください。また、pro.workshop@gmail.comに連絡をいただけると、その本では物足りないところを情報提供します。

★★★★ ということは、現時点でのWWに関する英語と日本語の情報格差は、100対1以上あるということになります。そして、今のままでは広がる一方です。

2010年8月20日金曜日

低学年へのカンファランスの方法

 コロンビア大学のティーチャーズ・カレッジの読み書きプロジェクトを率いるルーシー・カルキンズ氏は、ドナルド・マレー氏の15分間のカンファランスを受けるために、月に一度、片道3時間30分も車を走らせていた、という有名な話があります。その年には、合計で10回ぐらいのカンファランスを受けたようですが、その10回のカンファランスが、書き手になる、ということを教えてくれたと言っています(The Conferring Handbook、IVページ)(Lucy Calkins, Amanda Hartmen, Zoё White, and The Unit of Study Coauthors、Heinemann, 2003)。

 (★ドナルド・マレー氏は、ピュッリツアー賞も受賞した優れた書き手ですし、ライティング・ワークショップのような教え方に多大なる貢献をした人です)。

 15分のために、片道3時間30分も運転したというこのエピソードを語ることで、それだけカンファランスが大切だということを言いたかったのだと思います。

 このエピソードが書いてある上の本では、前回のブログで紹介した(1)観察して、(2)教えることを決めて、(3)教える、というカンファランスの要素にのっとってーーそしてこの3つの最後に(4)つなげる、という要素もいれてーー、カンファランスの具体例が数多く書かれている本です。カンファランスの具体例の本と言ってもいいと思います。対象の子どもは、主に低学年です。

 上の4つのカンファランスの要素は、どのカンファランスでも必要だと思いますが、教え方にはいくつかの方法があるようです。この本のカンファランス例を見ていると、カンファランスの内容や方法が、いくつかの大きく分類され、それが、それぞれのカンファランス例に、それぞれ明記されていることに気付きました。

 カンファランスの方法については、4つぐらいに分類しています。その4つの方法は、ミニ・レッスンにも使えると述べ、以下のようにまとめています(VII - VIIIページ)ので、そのメモを共有します。

(1)低学年で使う頻度が高いのは「先生が導きつつの練習」

教師が教えたいことを伝え、子どもがそれをしてみるようにする。そのときに、その子がそれをできるように(あるいはより上手にできるように)一歩一歩導いて行く(簡単な助言をしたり、足場/土台をつくっていくような感じで)。できるようになるにつれ、先生の導きを減らす。そして終われば、今したことに名前をつけて、今後も使っていくように言う。

(2)「先生がやって見せる」

 教師が教えたいことを伝え、それをやって見せ、子どもに観察させる。それから子どもにバトンを渡す(子どもの番とする)。(このときに上記の「先生が導きつつの練習」も使うこともある)。そして終われば、今したことに名前をつけて、今後も使っていくように言う。

(3)「やることをはっきりと分かるように伝え、その例を示す」

 とてもとても短い講義のように、教えることを説明して、それについての例を示す。例えば、「書き手は写真家のようなもので、牧草地すべての写真を取る代わりに、焦点を決めて写真をとる」、そんな感じです。そのあとに、例えば、大きなトピックに取り組む中で、その中にある点に焦点を絞って書くことにしたクラスの子の例などを示す。

(4)(低学年ではあまり使われないが)「調べる/探求する」
 あることについて調べて/探求してみて、そこから学べる原則を推定する。





 

2010年8月13日金曜日

(1)カンファランスは問題解決ではない と (2)カンファランスの4つの要素

 こんにちは。今日のWW便りは、見出しに書いた2つのトピックを簡単に書きます。

(1)カンファランスは問題解決ではない

 自分でも「あ、違う」と感じつつも、リーディング・ワークショプ中に、学習者が分からないところの問題を、私が必死でなんとか解決しようとしたことがあります。これでは読み手を育てていない、私が解決するのではなくて、学習者が自分で解決できるような術を教えなくては。。。と思いました。

 もちろん、ライティング・ワークショップも、今書いている作品をよくするだけでなくて、書き手を育てることを目指すので、上と同様のことをしないように注意しなくては、と思います。

 そんな私ですので、「カンファランスとは、教えることであって、問題解決をすることではない」という言葉を見て、ドキっとしましたし、まさにその通りだと思いました。

 これが出てきたのは、Writing Workshop: Working Through the Hard Parts (And They're All Hard Parts) という本 (National Council of Teachers of English, 2001) の157ページで、157-158ページにそのことが説明されています。この本は、Katie Wood Ray という人が書いています。この人も、教室の情景がはっきり分かる具体的ないい本を何冊も書いています。

 157-158ページによると、カンファランスの目的は今ある問題を助けることではないし、教師の助けに生徒が頼ってしまうようになってはだめだということです。学期の初め頃には、よく問題を教師に解決してもらおうと、もってくる生徒がいるそうですが、「それは自分で解決できない? だって、自分で解決できるようになることは必要なんだよ」とまず言うようです。

「どうしても、本当に、教師の助けが必要」な生徒が、「カンファランスを希望する人の名前」を書く紙に自分で名前を書き込めるようにしている教室もあるそうです。しかし、このようなカンファランスをする場合、生徒が教師に依存してしまわないように注意する必要がありますし、そのようなカンファランスの数はごく限られたものにしておくことも必要なようです。

(2)カンファランスの4つの要素

 上の本の160-169ページには、カンファランスの4つの要素が書かれています。

 この4つの部分の最初の3つは、(1)観察して、(2)教えることを決めて、(3)教える、です。この3つは、ルーシー・カルキンズの書いた、書くことの教え方についての本、The Art of Teaching Writing を基にしています。

 ルーシー・カルキンズの書いた、読むことを教えることについての本『リーディング・ワークショップ』(新評論、2010年)で、95−106ページにこの3つの要素の「読むこと版」が詳しく書かれていますので、これを読むとイメージしやすいと思います。

 この3つに加えて、Katie Wood Ray は、4つめに「カンファランスの記録を取る」ことを挙げ、記録を取ることがいかに大切かを力説しています。

 多くの人が言っているように、Katie Wood Ray も、それぞれの教師が自分にとって使いやすい記録の取り方をつくることが必要、でないと結局記録しなくなるから、と言っています。

 Katie Wood Ray の場合は、ほとんどのカンファランスの終わりに、「じゃあ、○○○○のことを書いておくね」と言って、カンファランスで教えたことをまとめるとともに、記録しているようです。

 なお、一人一人の子どもの記録が通して見やすようにしておくというのも大切だと言っています。
 

2010年8月6日金曜日

デザイン(設計)・カンファランス

 こんにちは。今日は書き手とは選択していくものだ、なので、選択することを教えていくのもカンファランスの大切な要素の一つだ、そんな観点から、デザイン・カンファランスについて書きます。

 皆さんは今までどんなカンファランスをされてきましたか? 

 私も、うまくいかないときも多々ありますが、いろいろなカンファランスをしました。題材さがし/書く内容を決めるためのカンファランス、書きたいことが決まったときに、じゃあ、それをどういう形で書く?(例えば、詩にする? 一人称それとも三人称で書く?など)、書いている途中の作品を見ながら、よく書けているところをほめたり、ユーモアのところで思わずくすっと笑ったり、分かりにくいところを質問したり、どうやって終わるの?とか終わりかたは決まっているの?と尋ねたり、超大作になりそうなときは3部作もありだと提案してみたり、いろいろなツールや参考文献の使い方や調べ方を教えたり、もちろん言語事項に関わるカンファランスもたくさんしました。
 
 そんなことを考えながら The Art of Teaching Writing (New Edition)(Lucy McCormick Calkins著、 Heinemann, 1994) を読んでいました。

 ★ 彼女の書く本は、生き生きと読み書きに取り組む子どもたちの様子があちらこちらに出てくる本が多く、書かれていることも具体的なので、得るものが多いです。

 上の本の14章では、「書いている内容についてのカンファランス」、「デザイン・カンファランス」、「プロセス・カンファランス」、「評価のカンファランス」についていろいろと説明されています。

 自分のカンファランスを振り返るときに、自分のカンファランスも、自分なりの分類ができるのだと思いましたし、自分で自分のカンファランスを振り返って、分類してみるのも必要な気がしました。私も少しずつ自分なりの分類をつくっていきたいなと思っています。

 私はこの本のデザイン・カンファランスが、(238−241ページ)を読みつつ、これは自分が時々行うカンファランスの一つなので、これを一つの分類として使おうと思いました。

 デザイン・カンファランスとは、その作品のデザイン(設計)についてのカンファランスです。あたりまえのことですが、このカンファランスには、いろいろな段階があるなあと思いました。

 この本の(238−241ページ)によると、例えば、幼い書き手の場合、起こったことの順番がめちゃくちゃでわかりにくかったり、例えば自分の好きなこと(恐竜とか)について書く場合、恐竜の食べるもの、化石、また食べるもの、等々、カテゴリーにきちんと分類されていなかったりということはよくあるそうです。

 前者の場合は時系列でということを学ぶ必要があり、後者の場合だと、もちろん、はさみで切って情報を分類することも可能ですが、ごちゃごちゃになっている下書きを使って、そこから「見出し」をつくって分けていく、そんなこともできます。

 そのうちに、起こったことを時系列で書く必要がない(山登りの1日を書くときに、最後のシーンから始めてフラッシュバックで書くことも可能)ことも学んでいきます。

 また、あることについて書くときに1〜20まで書こうということがあれば、それを全部書かずに、例えば、1〜20のうち、9〜12に焦点を定めて、それについて書こうというようなことも、学んでいきます。

 また、書く形式ーー詩なのか、回想録なのか、絵本にするのか、手紙形式にするのかーーという選択肢もあります。

 私はこの箇所を読みながら、「書き手のもっている多くの選択、そして書き手がしていかなければいけない選択」ということも考えました。 

 『ライティング・ワークショップ』(ラルフ・フレッチャー & ジョアン・ポータルピ著、新評論、2007年)の「1日目を切り抜ける」(53ページ)に以下のような文があります。

 「『作家には決断が必要です。どうやって書き始めようか、どの単語を使おうか、読者は誰にしようか、どのくらいの長さにしようかと、作家には決めなければいけないことがたくさんあります...<略>』
 教師はここで語った「作家には決断が必要」というテーマを、その後のワークショップでも何度も繰り返して取り上げます」

 デザイン・カンファランスでは、書き手がよりよい「選択をできる」ように助けていくことが大切では?思いました。

 (もちろん、選択肢のレパートリーを持っているかどうかも問われてくるのですが。)