2011年1月28日金曜日

書かない子をどうサポートするか (6)

ある人から紹介されて、『豊かな言語活動が拓く国語単元学習の創造・理論編』と実践編の小学校低学年編を読みました。
国語の単元学習は、大村はまさんの実践と倉沢栄吉さんの理論で有名ですが、日本国語教育学会としても長年取り組んできたものだそうです。
この本自体、国語界の名だたる方々の分担執筆の形で書かれています。(いったいどんな読者層を想定して書いているのかな? その人たちに届く形で書かれてあるのかな? と疑問を持ちながら読まざるを得ませんでした。少なくとも、現場の先生たちが「単元学習に取り組んでみよう!」と思えるようには書かれているとは思えないからです。教科書会社が教科書とセットで出してくれている年間指導計画とさほど変わりがあるようにも思えませんでした。)話が逸れてしまいました。単元学習を批判することがこれを書いている目的ではありません。あくまでも、子どもたちが主体的に書くためのサポートの仕方について考えることです。

実践編の小学校低学年用の中に、以下のような具体的なサポートの仕方が紹介されていました。



これを見られてどう思われましたか?(表をクリックすると、拡大で見られます。)
教師が「よかれ」と思って、子どもたちに書き慣れるために考え出したリストであることは、伝わってきます。それも、年間を通してタイミングよく。
しかし、エネルギーの使い方が違うんじゃないか、とも思いました。
教師ががんばって大切なことを考え、子どもたちはその結果を「言語活動」としてこなすだけです。それに意味を見出せる子たちにとってはいいのですが、そうでない子たちにとっては「やらされ感」が結構強いことも予想されます。
さらには、教師がテーマを出さないと書かない子どもたちの育成をしているような部分も否定できません。「依存関係」の構築です。
本来、書く題材を自分が決めることが、書くことの7~9割を占めています。(実際に、本物の作家、詩人・俳人、ノンフィクション・ライター、ジャーナリストはそうして書いています。)ちなみに、読む場合も同じで、選書(自分にあった本を選べる能力)が7~9割を占めるような教え方が望ましいのだと思います。

★ということで、「自立した書き手を育てる」という視点があるかないかで、教師がすること=子どもたちがすることはまったく違ったものになってしまいます。

★たくさんの「言語活動」や「単元学習」を教師主導でこなすことはできます。(それは、たくさんの時間を費やすことができる、という意味です。)しかし、それでどれだけ子どもたちが主体的に書くようになったり、書く力を伸ばせるようになるのでしょうか?

『豊かな言語活動が拓く国語単元学習の創造・理論編』の272ページには、学習が「生きた学習」になる3つの要件を提示してくれていました。
・学習者一人ひとりへの「個に応じた指導」が保障されている学習
・教師のみでなく仲間からも学ぶ「集団が個を育て、個が集団を育てる」仕組みが備わっている
・生活上の課題や学習者の実感・必要感に根ざした「言語行為」が遂行される学習 = 「聞く・話す・読む・書く」が単なる活動ではなく、魅力ある達成目標のために組み上げられている (鳴門教育大学・村井万里子教授作成)
これは書く授業のみならず、すべての授業をチェックする際の大事な指標になると思います。

●これらの視点でこの本や実践編の各事例を見ていくと、どれだけの事例が3つの要件を満足しているでしょうか?
●WWのアプローチは、満足しているでしょうか?
●これら3つ以外に、大切な要件は思いつきますか?
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2011年1月21日金曜日

作家に学ぶ〜作家の伝記、自伝、回想録を活用する〜

 突然ですが、「作家ノート」をこの週末に買うことにしました。その理由は今日の「WW便り」の最後に書きます。

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 今日の「WW便り」は「作家に学ぶ〜作家の伝記、自伝、回想録を活用する〜」です。

 これは、3〜6年生の読み書きについての情報満載な本(大判のページに細かい字でぎっしり書かれた本で、600ページ以上あります!)を見ていて、面白いページを見つけたからです。

 そこには、2ページにわたり「作家から書くことについて学ぶ」という表がありました。

 その表には2〜3行ずつでひとまとまりになっている文が書いてあります。そしてそのひとまとまりごとに、作家がどのように書いているのか、どんなところからヒントを得ているのか等々、作家が書くことに関してのいろいろなエピソード的(?)な本当の話が書かれています。

 もちろん、そこに登場する作家の多くは、子どもたちがその作品をよく知っている作家です。私も好きな作家が何人かいたので、けっこう興味をもって読みました。

 上の本を共著で書いたフォンタス氏とピネル氏は、その本で、こういう例を教師に示したあとで、授業で、作家の伝記、自伝、回想録(もちろん作家のホームページもいい情報源)から一部を読み聞かせ、それをつかって「作家に学ぶ」ことができることを示しています。

 作家が題材をどうやって選び、どのように書くのかを、作家のいろいろなエピソードから知り、そこから自分の書くことに活かせることを学んでいくのです。

 作家の伝記、自伝、回想録、作家のホームページ、作家へのインタビューなどを集めたカゴをつくっておいて、子どもたちが、自分の好きな作家がどのように書いているのかを自分で学び、それを他の子どもに共有することもできることが、この本から分かります。

 これは初期の「題材さがし」や「書けそうな題材リスト」をつくる頃には、もちろんとてもいいと思いますが、しばらくして「書くことがなくなった」みたいな子どもが出て来た時期にもいいかもしれません。

 また、初期の頃には、「作家ノート」の使いかたにつなげる形で、「作家に学ぶ〜作家の伝記、自伝、回想録を活用する〜」ことを教えるのもいいなと思いました。

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 さて、「作家ノート」ですが、フォンタス氏とピネル氏は、「作家ノート」の大切さと、その使いかたを教えるいい方法の一つとして、教師の作家ノートを子どもたちに見せながら教える、ということを挙げています。

 ここで私は困ってしまいました。

 実は、私は「作家ノート」が使えていないのです。授業用につくって見せたことはあります。でも、それは「本当の」ものではありません。何度か「本当に」つくってみたのですが、それは私は継続できませんでした。

 何度か挫折したのに、なぜ、今日のブログの一番上に「『作家ノート』をこの週末に買うことにしました」と書いたのでしょうか。

 というのは、リーディング・ワークショップのことを思い出して、作家ノートに再びチャレンジしてみたいと思ったからです。

 リーディング・ワークショップでは「読書ノート」があります。これも私は何度か挫折したのですが、嬉しいことに、ここ1〜2年は、ずっと続いています。

 そして私の場合は、「読書ノート」が継続して使えるようになった時期と、自分が読み手として成長したと思える時期(そして、リーディング・ワークショップについての理解が深まったと思える時期)とが重なっています。

 そう思うと、「作家ノート」にも、もう一度、トライしてみたいと思うのです。書き手が書き手を教えるライティング・ワークショップへの理解を深めるためにも。

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上で紹介した本の情報は以下です。 
Guiding readers and writers, grades 3-6「作家から書くことについて学ぶ」という表は425-426ページ、作家に学ぶことと作家ノートについては25章参照)(著者: Irene C. Fountas, Gay Su Pinnell)Heinemann, 2001年

2011年1月17日月曜日

書くこととマルチ能力

 私のマルチ能力へのこだわりは本を翻訳して、出版してしまうぐらいの筋金入りです。(『マルチ能力で育む子どもの生きる力』トーマス・アームストロング著、小学館 ~ 残念ながら絶版!)

 簡単に、マルチ能力を説明すると、人の能力は多様だということです。少なくとも、①言語能力、②論理的‐数学的能力、③空間認識能力、④音感能力、⑤身体‐運動能力、⑥自己観察・管理能力、⑦人間関係形成能力、⑧自然との共生能力があります。(「マルチ能力」ないし「マルティプル・インテリジェンス」で検索すると、たくさんの情報が得られます。)

 学校で主に能力というときは、9割がた以上は①言語能力と②論理的‐数学的能力のことを指しているのではないでしょうか。他は、ほとんど能力として捉えられていませんから、それらにいくら秀でていても、少なくとも学業では役に立たないと思われてしまいます。
 でも、人間が生きていくに際して必要なのは、これら8つが極めて大切だと主張しているのがマルチ能力の理論です。実際、それらの能力で食べている人がたくさんおり、人間は言語能力と論理的‐数学的能力だけで食べているわけでも、人の価値が決まっているわけでもありません。
 このマルチ能力の視点で人を見られるようになると、多くの子どもたちが救われることになります。一般的に、人は一つか二つで秀でているものをもっているからです。

 なお、言語能力は国語で、論理的‐数学的能力は算数・数学や理科で、音感能力は音楽で、身体‐運動能力は体育で磨くというふうに教科に対応しているわけではありません。
 使い方としては、音感能力や身体‐運動能力が秀でた人にとっては、音楽を使ったり、身体を使ったりして、国語や算数・数学や理科や社会科を学べると、それらが苦手であっても、すんなり入る可能性が高いということになります。私の場合だと空間認識能力が高いわけですが(なんと、大学、大学院で学んだことと最初に就いた職業が都市計画でした!)、それは当然地理や歴史で生かされましたが、他の教科ももっと空間に関連づけて教えてくれていたら、あまり苦労せずに学べていたというわけです。

 国語で言語能力を使うというか、磨くのは当然のことなのですが、他の能力に秀でた人たちにとっては、それらも使ってくれると国語が好きになるというか、国語ができるようになる可能性は飛躍的に高まります。

 たとえば、前回紹介された詩について言えば、私自身、ここ4ヶ月ほど俳句や詩(もどき!)を一日一句作ってきてつくづく感じることですが、外に出るとスラスラ出てくることが多いのです。部屋の中で、言語能力(と論理的‐数学的能力?)だけで書こうと思ってもなかなか出てきません。外に出て五感で感じることで、考えもしなかったようなものが出てくるのです。その意味では、空間認識能力や身体‐運動能力や自然との共生能力と関係してくるのかと思います。
 音感能力に秀でている人にとっては、音楽を聞くことで詩が浮かんでくるような可能性もあるのではないでしょうか?
 さらには、一人でいるときにいい詩が思い浮かぶ人(論理的‐数学的能力ないし自己観察・管理能力)もいるでしょうし、他の人たちと話し合っている時にひらめく人(人間関係形成能力)もいるでしょう。

 ぜひ、言語能力以外をうまく活用することも考えてみてください。特に、私と同じように言語能力に秀でていない子たちにとっては救いになるはずです。

2011年1月14日金曜日

「宝さがしゲーム」~(今までに授業で)使った本や詩を、詩人の目で見直す~

 詩は、少なくとも少し前までは、私には遠いもので、授業でもほとんど教えませんでした。

 でも、WW便りでも何回か紹介していますように、ここしばらくは、読み書きの授業で、詩を使うことでできる数々のことに、すっかり魅了されています。

 詩が身近になったきっかけと理由は、今までのWW便りで紹介したような(2010年 9月3日, 10月1日のブログなどをご参照ください)、詩の可能性を感じさせてくれるワクワクする本に出合ったからです。

 そして詩の教えかたについての多くの本が、「詩なんて別世界」と思っていた私でも何かを感じられるような詩を本の中で紹介してくれていました。それで、詩が少し 身近になりました。

 また、そのような本は、詩を教えたいと思っている教師がまず行うことは、「教師自身が詩を読むこと、詩の楽しさを体験すること」、という、私でもできそうな助言を書いてくれていました。

 加えて、学び仲間も、「こんな詩みつけたよ」など、いい詩を教えてくれたりもしました。

 そんな経過もあって、今は、「詩ってけっこういいな」と思っています。そして、調子に乗って(?)、今学期、授業でもいろいろな詩を紹介しましたし、詩の読み聞かせや考え聞かせもしました。また、読みの授業では詩を沢山読んだ週もあります。

 そして、かなり真剣に、来学期の授業の最初の数分は、ほぼ毎回「詩」 で始めようかと思っているぐらいです。

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 さて、今日は、WWの詩について、いい本を何冊も出しているジョージア・ハード (Georgia Heard)氏の本から、ごく簡単にできそうな詩の学び方の一例を紹介します。

 それは、教室に中に「ことばの素晴らしさを学ぶコーナー」をつくるということです。

 「ことばの素晴らしさを学ぶコーナー」というとおおげさですが、一つか二つの机を集めるだけでできそうです。

 このコーナーで、言葉への意識を高める一つの方法と して、すでに読み聞かせした本や、子どもたちがすでに知っている本を使うという方法が紹介されています。

 まずは、詩集だけに限らず、すでに読み聞かせした本や、子どもたちがすでに知っている絵本などから、詩的なことばの使いかたが出てくるものを集めておきます。

 (ここに何冊か、このコーナーに置いておくとよい絵本の例が出ているのですが、その中で邦訳が出ているのは、ジェイン・ヨーレン著の『月夜のみみずく』  だけのようです。)

 そして、ここで「宝さがし」をするのです。

 宝とは、「詩的な言葉が使われているところ」、です。これをペアでさがして、書き出していきます。


 最後にそこから、一つだけ選び、それをしおりに書き、イラストも少しつけて、書名と著者名を書いておきます。

 子どもたちはすでに知っている本なので、ストーリーがどうなるかとハラハラせず に、言葉に集中できると思います。

 また、詩の材料、詩につかえそうなことばは、詩だけでなく、あちらこちらにある、ということにも気づけるかもしれません。

出典: Awakening the Heart (Georgia Heard著、Heinemann, 1999), pp.8-9

 なおこの本を書いたジョージア・ハード 氏は、「ことばの素晴らしさを学ぶコーナー」だけでなくて、その他、例えば「詩を聞くコーナー(イヤホーンとCDなどが必要となる)」(11-12ページ)、「詩を修正するコーナー」(14ページ)など、いろいろな「詩を自分で学ぶ他のコーナー」もつくっています。他にどんなコーナーがつくれそうか、考えてみても面白いかもしれません。

2011年1月7日金曜日

「本当に書く」とは?

 昨日のテーマは「読者(出版)意識をもつ」でしたが、その中で「本当に書く」がかなりのウェートを占めていたようなので、そのことを読んだ時から考え続けています。

 いったい、「本当に書く」とはどういうことなんだ、と。

・本当に書きたいことを書く
・本当に伝えたいことを書く
・本当に自分が残しておきたいことを書く
・誰かに言われて、イヤイヤ書かされていることではない!

が思いつきました。他にもあるでしょうか?

 一番上の「本当に書きたいことを書く」は、書き手による「題材選び」の大切さにつながっています。
誰かに言われても、イヤイヤではなく、本当に書きたいことであれば、OKだと思います。

 80年代、90年代以来の欧米では、「本当に(Authentic)」が教育のキーワードの一つになっています。

 それまでしてきたことが「偽物」ではないか、「学校ごっこ」だったのではないかという反省があります。

 たとえば、書くことの場合は、教師が書く題材を子どもたちに与えて、教師しか読まない作文を延々と書かせることをしてきました。また、教師の役割は子どもたちが書き終わった後に添削することが主でした。でも、子どもたちにとっては書き終わった後にどれだけ直す必要性を指摘されても、それが次に活かされないことはこれまでの体験からも、研究の結果からも明らかでした。
 書く力がつかないのは、要するに「偽物」「学校ごっこ」をしてきたという反省を招きました。(残念ながら、日本ではそういう空気がまだないようです。)

 一方、「本物の作家」やジャーナリストや詩人や俳人の仕事も参考にしました。作家のサイクルは、そんな中から生まれたというか、活用することにしたわけです。

 同じことを、「読むこと」に応用したのがリーディング・ワークショップです。

 この発想は当然、書くことや読むことだけでなく、全教科に応用できることでもあります。
 「学校ごっこ」ではなく、「本当に」することが求められています。

 さらに、評価にも応用されました。
 テストは、「偽物」「学校ごっこ」だということになったのです。
 それに代わって、「本物の評価(Authentic Assessment)」が彼これ20年ぐらい言われるようになってきています。(『テストだけでは測れない!』を参照) 教えることと評価することは、コインの裏表の関係ですから。
 日本の場合は、評価もまだ「偽物」「学校ごっこ」が主流であり続けています。
 はやく何とかせねば、子どもたちがかわいそうです!!!

2011年1月6日木曜日

読者(の存在)は強し

 あけましておめでとうございます。

 今年最初のWW便りは1月7日という予定でしたが、明日(1月7日)がちょっとばたばたしそうな日なので、1日フライングで今年最初のWW便りを書き込みます。

 「生徒は、自分の作品に興味をもってくれる読者宛に、自分の作品が出版されると分かると、書くことにおけるあらゆる面において、今までよりも頑張る」

 ごつごつした私訳ですみませんが、上の文はレジー・ラウトマン(Regie Routman) という教育者が述べているものです


(出典: Heinemannから 2005年に出版された Writing Essentialsという本の 204ページ)

 この引用に書かれていることを実感したのが、12月の最後のWWの時間でした。

 私はこの日を「出版の日」にしました。

 今学期、決して順調にいったとはいえないWWのクラスでしたが、この日はとても楽しかったです。その理由は、上の引用の通り、「今までよりも頑張る」生徒が何人かいたからです。

 クラスのみんなの前で読むと分かったとたんに、いままで、あまり修正にも興味がなく、「あとは先生、直して」(苦笑)みたいな生徒も、「ここを変えたい」とか「これを付け足したい」など、今までに見せてくれなかった面を見せてくれました。

 まさに「読者(の存在)は強し」です。

 逆に言うと、今まで、読者を意識させるのが足りなかったなあと、つくづく反省させられた時間でもありました。

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 さて、WWの出版について、少し書きたいと思います。

 WWのサイクルには「出版」が含まれています(『ライティング・ワークショップ』 82ページの図をご参照ください)。

 もちろん、すべての作品が結果として出版までいきつくとは限りません。でも題材さがしの段階から、実は出版(読者)が意識されているのでは?と思います。

 出版は、WWでは、いわゆる紙ベースの出版だけでなくて、「読者に向けて発信すること」と考えてよいと思います。

( 『ライティング・ワークショップ』88-89ページをご参照ください。特に89ページの注5では、 「本書で『出版』」が意味することは、書かれた作品が書き手以外の読者に読まれること全般を含みます。これは、いわゆる紙媒体の出版だけに限定されません。「出 版」には口頭の発表も含まれます<後略>」と書かれています。

 ですから、クラス内での口頭発表や、他のクラスや他 の学年に行って、自分の作品を読むことも出版と考えられます。クラス内で文集をつくることも可能ですし、学級便りを子どもに書いてもらうこともできるかもしれません。また、RWとWWを両方されている先生であれば、お薦め本のポップカードなども一つの形としていいかもしれません。

 読者はクラスメートでも、家族(例えばおばあちゃんにお誕生日のカードを書く)でも、あるいはもっと広い読者でもいいのです。要は読者を意識して書く、そして読者によって書き方を変える、これがポイントのように思います。

 なぜ、WWは出版にこだわるのでしょうか。

 それは、できるだけ「本当に書く」ことを教室の中にいれようとしているからだと思います。

 そして、「本当に書く」ときに、本当の読者のいない作品はあるでしょうか?

 上で紹介したレジー・ラウトマン氏は、上で紹介した本の8ページに、「子どもたちが素晴らしい書き手になるために大切にしたい5つのこと」というリストを挙げ、 その一番最初の項目で次のように述べています。

 「私が、常に読者を心においている書き手であることを、はっきりと示す(時には、読者は私自身)、そして、自分の書くプロセス、思考のプロセスをはっきりと見 えるようにする」

 読者を意識させることで、子どもたちの取り組み方が変わってくる気がします。もっと読者・出版を意識させたい、これが私の今年のWWの目標の一つです。