2014年1月24日金曜日

『「読む力」はこうしてつける』の第3章



  『「読む力」はこうしてつける』のブッククラブを仲間4人としている友人のSさんが、第3章に彼が書いた感想を送ってくれました。

 
一つ目は...

「より良い読み手を育てる=読みたいものを読みたいように読む」

 このフレーズは、まさにその通りと思います。これがなかなか現実の学びの場に存在しないように思います。

 読みたいものを読みたいように読んでいたら、「テストで点数が取れないんじゃないか」って、声が聞こえてきそうです。

 その背景には、テストで点数をとるための読み方があるということになります。その読み方っていうのは、テストで点数を取る以外にどんなところに活かせてくるのでしょうか?

 みなさんは、どう考えますか?

 僕らは、どんなものを「読みたい」って思うんでしょうか?
 「読みたいように」っていいますが、自分はどう読んだのかを知るには? どんなアプローチがあるんでしょうか?
 そもそも「読む」って、どういうことでしょうか?

 この三つの問いが生まれてきます。これら三つの問いに向き合っていくには、ブログで紹介されていた読んでいるものへの書き込みや、同じブログの去年の4月~5月に連載された読書ノートの活用法がヒントになりそうです。


二つ目は...

 「反応から出発し、それを共有するところから理解を深める。」

一人ひとりの見方、感じ方を尊重し、それを皆で共有していけるような時間を、自分も受けたいと感じていました。

 さらに詳しく知りたくなり、ここ(45~6ページ)で紹介されているアメリナ・アレナスさんの本を読みました。彼女の「ギャラリー・トーク」の手法は、十分に使える方法だと思いました。
 教室に貼ってある掲示物や、保護者会で教室を案内するときなどに。

 とくに、学びが多かったのは『まなざしの共有アメリア・アレナスの鑑賞教育に学ぶ』でした。よくつかわれるオープンクエッションとクローズクエッションという質問の仕方や、トーク全体の構造をどう組み立てるかなど、鑑賞教育という枠を超えて学びが多かったです。
 この本を読んだ後に、父や友人と美術館にいったのですが、今までにないくらい良質な時間を過ごすことができました。

 という内容でした。


 最後のところは、とても大切で、Sさんはファシリテーター(教師)役なしで、それぞれが感じたことや思ったことを、お父さんや友人と出し合うことができたのでしょう。それは、「ギャラリー・トーク」の方法は参考にしながらも、より「ブッククラブ」に近いことをしていたことになります。
 つまり教師やファシリテーターが引き出し役を担うのは、あくまでも手段に過ぎず、目標は教師やファシリテーターなしで、子どもたちが自分たちでやるべきことをやれてしまうことです。
 リーディング・ワークショップのクラスでは、それが一人読み、ペア読書、ブッククラブ、多様な本の紹介のような形で、ふんだんに設けられています。

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