2016年1月29日金曜日

「書けない子との接し方」へのコメント紹介

冨田先生の「書けない子との接し方」は、大きな反響を呼びました。
フェイスブックのリーチ数は、なんと1800以上でした!

1)まずは、国語の先生の反応から。

「これ、いいなあ。すごい、と思った。単に「いい話」というのではなく、そこに至る技術の積み重ねがすごい」
ここで先生がしてるのは箇条書きにすると、こういうことだ。
・書記が苦手な子には代わってあげる
・その子の中の得意なことを生かす
・その子の好きなことで書いてもらう
・一対一の対応(カンファランス)をする
・間違いがあっても一度に全て指摘しない
・本物の読者(ここでは保護者)を用意する
・書く楽しさを実感できる機会を作る(ファンレター)
・書く必然性のある場を作る(ファンレターの返事)
どれもこれも、一つ一つはライティング・ワークショップの実践から推奨されている、この実践を知っている人ならいわば「当たり前のこと」である。でも、これをさらっとできてしまうのがプロフェッショナル。

さらに詳しくは、http://askoma.blog.jp/archives/49758234.htmlをご覧ください。

2)英語の先生たちからの反応も・・・

2-A: 作家ノートで多くの実践を積み重ねているT先生は以下のように書きました。

 とても参考になりました。「書けない」というのはどういうことなのか? そして「書ける」とはどういうことなのか? 考えさせられます。「「じゃあ、何について書きたい?」なんてヤボなことは言わないのです。まず相手が何に興味があるかに関心を寄せる。そこがカンファレンスの出発点なのでしょう。」 同感です。人と人の関係が出来上がることが、まず心を開く、原点ですね。「書く」ってすごく自分開示の作業ですから。

2-B: 中高一貫の私学で教えているI先生のコメントは以下です。

「書けない子との接し方」に学ぶ ~ 「WW/RW便り」に掲載されていた冨田先生の報告「書けない子との接し方」を読んで私が気付いたこと、考えたことを書きます。

「まずは、僕がAくんと話をして、内容を書いてあげるところから始まりました。薄く書いてあげて、それをなぞる学習です。そうすると、だいぶ集中してなぞり書きします。」書けない子に対するスモール・ステップの第一歩として、「書いてあげるそれをなぞる」という方法がとられています。そのことでAくんは「集中」できる。とにかく、集中できる活動をまず設定してあげることが大事なのだな、と思います。

「また、ノートに小さな文字でAくんの書きたいことを書いてあげると、それを活かして書けるようになるので、そのようなことも日常的にしています。」「日常的」な働きかけが大事なのですね。一回ですぐにできるようになるわけないですから。そして、ノートがその働きかけのためのツールになっています。私の実践で言えば、Writer's Notebookです。

「Aくんは話す方は意外と上手です。・・・・Aくんは、生き物で人を引き付ける力を持っているのだと気づきました。」Aくんの特徴、特性をつかんでいます。すばらしいと思います。私はここまでできていないです。「小学校の担任だからできるのだ」と言う人がいるかもしれませんが、教科担当制の授業の限られた時間の中でも、できることはあるはずですね。その生徒の特徴をキャッチするというのはカンファレンスにとって本質的なことでしょう。

「6月半ばぐらいから作家の時間の『出版』を目標に、お家の方に自分の伝えたいことを伝えようと、クラスみんなで頑張りました。」「お家の方」という読者をしっかり意識させています。そして、「クラスみんなで頑張」るのです。つまりWritingのコミュニティとしてのクラスを意識しています。

「気持ちが乗らないようです。けれど、僕はAくんは虫関係でとても良い経験をしているということを知っていたので、虫でアプローチしていきました。」Aくんの特徴をつかんでいるからこそ、このような働きかけを思いつくのでしょう。良い経験をしていれば、それが書く原動力につながるという信念が感じられます。

「私『カブトムシはどう?』
A『もうスピーチでやった。』
なるほど。授業参観でやったカブトムシネタは、もう2回目は使わないということですね。」ここの、冨田先生のAくんの気持ちの受け止め方がすばらしい。「じゃあ、スピーチでしゃべったことを書いてみたら」などと押し付けないのです。まず、Aくんがそのように言った気持ちを理解する。これが大事なのですね。


   <メルマガとフェイスブックからの続き>


「私『なんの生き物が好きなの?」
A『カメ』
私『ほう、ほう』」「じゃあ、何について書きたい?」なんてヤボなことは言わないのです。まず相手が何に興味があるかに関心を寄せる。そこがカンファレンスの出発点なのでしょう。

「それじゃあ、絵を書いてみて!」私なら「じゃあ、亀のことについて書いてみて」と言ってしまうところですが、冨田先生は「絵」に気持ちを向けさせます。たぶん、文字は難しくても絵なら描けると思われたのかなと推測します。「!」がついていますね。冨田先生の心の躍動感が伝わってきます。動き出したぞ、という感じでしょうか。

「なかなか、子供らしく迫力のある絵。」ここでも、Aくんの絵に対する評価は、上手下手ではありません。Aくんらしさに共感するというスタンスが貫かれています。

「私『カメってどうやって飼うの?』
  A『亀の餌をあげる』
  私『噛まないの?』
  A『噛まないよ。甲羅をつかめば噛まないよ』
  と亀談義をして、」
 まだ、書かせません。亀についていろいろ聞いていきます。冨田先生は「亀談義」と言っていますが、こういう話をすることが後々に書くための素材になるのです。教師は「具体的なことを書きなさい」とよく言いますし、私も生徒に言いますが、このような掘り起こしの作業が必要なのですね。そのためのカンファレンス。具体的なことに関心をもち、雑談でもする感じで会話を楽しむ。その中でテーマとしている内容がリアルにその子のものになっていくのだと思います。

「原稿用紙に書いた亀を切り取って、画用紙に貼り付けました。そして、『字を自由に書いて、絵を見た人がもっと詳しく分かるように書いてみて』と伝えた」この工夫も私の思いつかなかったことです。画用紙に貼ることで、これがやがて掲示されることがAくんにも何となく伝わるでしょう。そして、「絵を見た人がもっと詳しく分かるように書いてみて」と言います。ここで初めて、文字を書くという作業の指示があらわれました。しかも、書く目的をしっかりと明示しています。「絵を見た人」という仕方で読者をしっかりとイメージさせています。

「もちろん、促音『っ』など、書けていませんが、まあとりあえずOK。書き始めたことがOKです。一応出版の原稿は完成しました。」まずAくんに対してOKをだす基準がしっかり自覚されています。「書き始めた」ということで今はOKとする。そしてもう一つのことは、これで出版の原稿は「完成」しました、とあることです。促音などがまだ書けておらず未完成ではあるが、出版の原稿とする、という言い方ではありません。ここが、私が「出版」というものについての考え方でもっとも反省を迫られた点です。その子にとってOKの原稿が出てくれば、そしてそれを受け取る読者がいれば、それで完成。その子がいまいる地点を離れて、教師の設定した基準にとどけば完成、ではないのです。
この点がWWの本質的な考え方と結びついていると思います。

「夏休みが明けて、ファンレター交換大会を開くと」自分の書いたものが読まれることを、ファンレターという形を使ったイベントに仕組んでいるところ、さすがだと思います。このことで生まれる交流まで含めて「出版」ということなのだなあ、と感じます。

「先生の励ましよりも、友だちになったばかりの子どもの保護者からファンレターが来る方が、効果があると思います。」本当にそうですね。教師の励ましでこそ子どもは育つという考え方ではないのですね。教師、子ども、保護者を巻き込んだコミュニティの中でこそ育つ。そのために教師はその仲立ちをするという考え方。それがすばらしいと思います。

「うちのクラスでは、保護者からファンレターが届いた場合、ファンレターのお返事を書くというルールになっています。」ファンレターを「読む」ということが、その返事を「書く」という活動につながっています。まさに必然性のある中で「書く」ということが行われています。書き手が育つというためには、このような環境こそ必要なのだと教えられます。
                   
 長々と書いてきました。とても勉強になりました。また、書き進めながら気付いたこともありました。



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