2016年3月25日金曜日

この文章の見出しは何?

あなたは、以下の文章を読んで、どんな見出しをつけますか?

大津地裁が関西電力高浜原子力発電所3、4号機(福井県)の再稼働差し止めを命じ、関電は運転中だった3号機を停止した。稼働中の原発が司法の判断で止まったのは初めてだ。
 同原発は原子力規制委員会の審査に合格している。住民らが起こした今回の仮処分申請では規制基準の妥当性などが争点になった。大津地裁は「基準を安全の基礎と考えるのはためらわれる」と疑念を呈し、関電の地震対策も「断層調査が不徹底」と断じた。
 原発の安全性の判断は専門的な議論になりがちで、これまで多くの裁判所が規制当局の判断を尊重してきた。だが東京電力福島第1原発の事故で規制当局への信頼は揺らいだ。過去の判例に縛られない司法判断があってもよい。
 とはいえ、大津地裁の決定には釈然としない点もある。
 ひとつが規制基準についての地裁の認識だ。基準は福島事故を踏まえ、重大事故のリスクを最小限に抑えるためつくられた。地裁は「事故の原因究明が道半ばで(基準を定めた)規制委の姿勢に不安がある」としたが、規制の意味について認識不足ではないか。
 断層の調査が十分かどうかも科学的な判断は難しい。どこまで徹底すれば地裁は納得するのか。
 高浜原発をめぐっては福井地裁が昨年4月に差し止めを命じたが、12月になって取り消した。このときには事故のリスクを許容できるかどうかが争点になった。
 司法は何を目安に安全性を裁くのか。原発停止の仮処分は即時に効力をもち国民生活や経済活動に悪影響を及ぼしかねない。判例を重ねて目安にする必要がある。
 一方、関電や国が重く受け止めるべき点も多い。高浜4号機は2月末に再稼働したが、直後に緊急停止した。大津地裁が指摘したように、関電は安全確保に厳しく向き合っているのか、心配だ。
 事故が起きたときの住民避難にも課題が残る。「自治体まかせにしてはならない」という地裁の指摘に、国は耳を傾けるべきだ。

以上は、ある新聞社の記事です。
1)あなたは、これにどのような見出しをつけますか?
2)あなただったら、同じテーマでどのような記事を書きますか?
3)この記事からどのような授業をすることを思いつきますか?
4)このテーマからどのような授業をすることを思いつきますか?
5)この記事から、新聞社の姿勢のようなものが透けて見えると思いますか?★

1)の答えは、
記事ではなくて、なんと社説でした。

他にも、キーワードで、いろいろな関連内容が検索できる、とても面白い題材だと思います。5)と関連して、たとえばhttps://socialnews.rakuten.co.jp/link/822564を見つけました。
授業では扱わなくても、子どもたちに投げかけてみるだけでも、価値はあると思いませんか? 少なくとも、「自ら考え、判断(し、そして行動)する」きっかけは提供してくれるように思います。そういう題材、教科書の中にはありますか?


★ 「クリティカルに読む」を含めて、まだお読みでない方は、『「読む力」はこうしてつける』(特に、163~173ページ)が参考になります。基本的に「フェアー」な文章など存在しません。文章は、常に誰かの視点や見方や考え方を反映しているに過ぎない、ことなどを含めて。



2016年3月18日金曜日

『内なる創造性を引きだせ』と『理解するってどういうこと?』

 
 先日、上京した時に、日本橋の丸善に行って、偶々、美術書のコーナーを通りかかったところ、なぜかスーパーリアリズムの絵についての本が流行しているようで、たくさんあるなぁと思いつつ、平積みになっている本に目をやると、檸檬・・・ではなくて、クリーム色の表紙の少し大型の本がたくさん積まれていました。タイトルは『内なる創造性を引きだせ』(ベティ・エドワーズ著、高橋早苗訳、河出書房新社、2014年6月)。
 デッサンについてのエクササイズがたくさん入っていたので、絵の描き方の本なんだろうと思っていました(実際、コピー用紙と鉛筆を用意して、自分で描きながら読むといろんな発見がある本です!)。少ししっかり読もうと思って、買って読み始めると、それだけではないことに気づきました。世界をどういうふうに捉えるのかということについての本だったのです。デッサンを通して自分を捉えるための本だったのです。つまり「理解する」ことについて書かれた本だということになります。
 三部構成の本の目次は次の通り(各部の下位の数字は章をあらわします)。
第1部 ものの見方を考え直す
1創造性-あやふやな概念/2内なるひらめきを便りとする/3創造性についてよく考える/4言葉の定義を手がかりにする
第2部
5もう1つの言語を活用する/6筆跡に語らせる/7洞察を引きだす/8直観で描く/9 最初の洞察を手がかりにして疑問を見出す/10意味をあますところなく引きだす
第3部 思考のための新しい戦略
11ゲームのルールをつくる/12新しい視点を活用する/13美しいジェスチャーを活用する/14カタツムリの速度で描く/15思いこみの裏側にあるものを引きだす/16ものを見る行為は見かけほど単純ではない/17合理性、比率、相互関係をよく見る/18道を照らす影/19魔法の瞬間に近づく/20内なる力を引きだす
 私がこの本を「理解する」ことについての本だと考えたのは、たとえば、次のようなことが書かれているからです。
 読み書きの学習が言語システムの訓練に有効であるのと同じように、ものを見て描く学習は視覚システムの訓練に非常に有効であると考えています。だからといって、真偽のほどはともかく、視覚システムのほうが言語システムよりもすぐれているというつもりはありません。ただ、2つのシステムはまちがいなく別のものです。そして、両者が対等なパートナーとして訓練されたときに、一方の思考モードがもう一方のモードを向上させるのであり、2つのモードは強調して人間の創造性を開花させることができるのです。(9ページ)
こんなふうに「人間の脳が言語と視覚による複雑な二重機能をもつ」という考え方をベースにこの本は書かれています。そのことが「内なる創造性」を引き出す上で非常に重要だと著者は言っているのです。(この相矛盾するものの「二重」性が「創造性」を持つという考えは本書のバックボーンになっているようです。宮澤賢治のようでもありますが…)
 美術の本なので、いろいろな種類の絵を描くエクササイズがありますが、その一つに、画家の肖像画デッサンを上下逆さまにしてその絵を模写する、というものがありました。そして著者によれば、このエクササイズを体験した人々は、驚くほど、正確に模写するようになるというのです。。逆さまに描くと何がいいのか。著者は「ものを逆さまに」見ると、「ものどうしの結びつきがいつもとちがって見える」からだと言います。そして「上下を逆にすると、通常の位置では判然としないもの―部分や全体―がはっきり見えるようになります」と、このデッサンの意味を掘り下げた上で次のように言っています。
私の考えでは、逆さまに描かれたデッサンが伝えているメッセージは、あなたはすでに描ける人だということです。つまり、描く能力はあなたの脳のなかにあり、描くことに適した知覚反応をひきおこす作業環境がととのえば、いつでも使えるようになっているということなのです。(33ページ)
 「上下を逆」にするというだけでものの見え方が変わるというのはよく言われることではありますが(世界地図を逆さまにしてみたり、日本海中心の日本地図を見ていると、いろいろと発見があります)、そこに「描く」という体験を組み合わせているところが、この著者のすばらしいところです。上の引用の「描く能力はあなたの脳のなかにあ」るという認識が、この本のタイトルにもあらわれています。「創造性」は外から与えられるものではなくて、その人が自分の内側から「引きだす」ものなのだというメッセージがこの本を貫いています。世界も自分も、「描く」ことによって「見る」ことによってあたらしく「理解する」ことができるようになる、ベティさんはそういうふうに言っているのです。読者の私の脳が揺さぶられている、そんな思いでした。
 もう一つ。『理解するってどういうこと?』の「訳者あとがき」には、訳者相互のやりとりによってinsightという語の意味を深く考えたことを書きました。この本のなかに、それと同じようなことが書かれています。
 Insightという言葉を調べていると、いろいろと興味深い発見がありました。Intuitionのパートナーであるinsightはまさに、見ることや視覚にかんすることを指す言葉ですが、奇妙なことに、なにかを「見抜くこと(seeing into)」や「理解すること」といったように、「かならずしも視覚によらずに対象を見ることを意味しています。理解すること、「把握すること」、insightと同義語のdiscernment(見抜く力)、「視覚(あるいはその他の感覚器官)で見抜くこと」、「心のなかで理解したり認識したりすること」。これらの定義は、見ることと理解することの関連を示唆していました。つまり、意味の把握が創造性の重要な要素であるということです。(47ページ)
 この本でもinsightには「洞察」という日本語の訳があてられているのですが、『理解するってどういうこと?』では、その「洞察」ってどういうこと?というところから、訳者相互のやりとりが始まったのでした。やりとりの末「じっくり考えて発見すること」という日本語を使ったのですが、ベティ・エドワーズさんがここで考察していることは、日本語訳をめぐって訳者同士でやりとりして考えたことと変わらないことのように私には見えます。Insightの「意味を把握」しようとしたからこそ、『内なる創造性を引きだせ』の著者も『理解するってどういうこと?』の訳者たちも、「創造性」にとって何が大切かということを否応なく深く考えることになったのです。そして、あの日日本橋の丸善に立ち寄らなかったらこういう発見もなかったことでしょう。

2016年3月11日金曜日

「いい本だから絶対に読んで!」~5年生の教室から~



今回のRWWW便りは、5年生の教室から、「いい本だから絶対に読んで!」という友達の言葉をきっかけに読み始めたA君を紹介します。
 
A君は、最初(1学期のうち)は教師の紹介する本しか読もうとしませんでした。

1年の終わりには、自分が読みたい本を自分で見つけ、教師による選書のサポートがなくても日常的に本を読み続けるようになりました。また、教室に複数冊置いてある本を友達と一緒に読むことを楽しんだり、おすすめの本についての情報交換を積極的に行うようにもなりました。

 さて、A君を教えた先生によると、A君の転機は、1学期の終わり頃に友達から紹介された『永遠の夏休み』(折原みと)を読み終えたことだったそうです。
      
「いい本だから絶対に読んで!」という友達の言葉をきっかけに読み始めると、今までにない集中力で最後まで夢中で読み、その後、夏休みも本を読み続けることができました。
       
 2学期になると、宗田理の「ぼくらシリーズ」を貪るように読み、上橋菜穂子の「守り人シリーズ」や『獣の奏者』も読破しました。
      
 保護者の方の話によると、家でも自分が読みたい本の話をするようになり、図書館や書店に行く機会が圧倒的に増えたとのことで、保護者も喜んでいました。
      
読書家として成長を遂げたA君の影響もあり、「ぼくらシリーズ」や『獣の奏者』はクラスの他の子にもよく読まれるようになりました。友達のお薦め本が転機になったA君が、今度はクラスの人たちに良い影響を与えるという相互作用が生まれました。
      
1冊の本を通して友達同士(教師と子ども、親と子どもの場合もあります)がつながっていく、この1年、このクラスからはそんな体験がたくさん生まれたようです。

2016年3月4日金曜日

「書くことを教えるプロとして持っているべき知識とは?」

これ(Professional Knowledge for the Teaching of Writing)は、全米英語教師協会(NCTE)が先月まとめたものです。
ちなみに、これは2004年11月にNCTE Beliefs about the Teaching of Writing (書くことを教えることに関してNCTEが信じていること)として出していたものを改定したものです。

日本で、国語(および日本語)の教師たちが、自らこういうのを出したことはあるのでしょうか? この辺は、http://projectbetterschool.blogspot.jp/2015/02/agencyagent.htmlと関係することなので、ぜひお読みください。教師たちが「担い手」意識をもっているか否かは決定的に重要だと思います。特に、教育において。

前置きはこのぐらいにして内容に入りますが、以下の項目、すべて納得しますか?
それともおかしいと思われるものはありますか?

     書くことはたくさんの目的から生まれる。
     書くことは複雑な人間関係とそこで使われている適切な言語に組み込まれている。
     文章の組み立ては、異なる様式やテクノロジーで行われる ~ 要するに、多様なジャンルを扱うことが大切ということです。一方で、私は30歳を前にする頃まで書けませんでした。特に、原稿用紙を埋める書き方は嫌いでした。いまでも、ダメです。私を書くことから救ってくれたのは、ワープロの登場でした!! 一つの方法を子どもたちに押し付けるのではなく、多様な選択肢の中から子どもたちが自分の書ける方法を見出させてあげてください!
     書き手と読み手の関係ということで、校正(文法や言語事項を押さえること)は大切。
     誰もが書く能力はもっている。書くことを教えられることで。教師は生徒たちがよりよい書き手になるのを助けることができる ~ ここでは、WWが効果的なことが書かれています。http://wwletter.blogspot.jp/2010/05/ww.html や
  http://wwletter.blogspot.jp/2012/01/blog-post_28.htmlなどがその理由です。
     書くことはプロセスである ~ イベントではありません!
     書くことは思考のツールである ~ 日本の教育に、この視点はあるでしょうか??
     書くことは話すことと複雑な関係にある ~ これも、です。
     書くことと読むことは切り離せない関係にある。
     書くことの評価は、複雑で、深い理解を伴った、人間的な判断を伴う ~ この点への解説が一番多いです。少なくとも日本の作文教育のアプローチではないことは確かのようです。カンファランスやポートフォリオなどが中心になります。★

あなたは、書くのを教える際に、上記のどれだけを意識していますか?

それぞれには、「これが教えることにもたらす意味」と称して10項目ぐらいのヒントというか解説がついています! 興味のある方は、ぜひご覧ください。


★ 以上の「書くこと」のどれだけが「読むこと」に置き換えられると思いますか?
  さらには、他の教科にはどうでしょうか? たとえば、算数・数学とか、理科とか、社会科とかです。