2016年8月26日金曜日

書くことについて、たった一つのことしか、教えられないとすると?

 教えたいこと、教えなければいけないことは山のようにありますが、もし、上のように問われると、どうお答えになりますか?

 『ライティング・ワークショップ』(新評論、2007年)の著者は、もし書くことについて一項目しか教えることができないのであれば、「読み直すこと」を教えると言っています(89-90ページ)。

 もし、私が同じ問いを問われたら、「読者意識」と答えると思います。「読み直す」ことと密接につながっていますから。

 読者を意識するからこそ、読み直します。そして、読者が誰であるのかによって、読み直し方も、当然、変わってきます。

 ライティング・ワークショップでは、「出版」を「読者に向かっての作品の発信」ととらえ、いわゆる印刷物での出版だけでなくて、口頭での発表も含めています。また学校内外での「掲示」も「出版」に含まれています。

 『作家の時間』(新評論、2008年)の第8章は「出版」で、教室内外で、『作家の時間』の執筆メンバーが行った出版例が挙げられています。

 「みんなの前で読む」という出版に、クラス全体で取り組んだときの様子も説明されています(136-137ページ)。

 『作家の時間』8章では、いろいろな出版方法が紹介されていますが、そこから、以下、いくつかを紹介します(137-138ページ参照)。

 ✍ 隣のクラスに行って読む
 ✍ 保護者会で家の人への手紙を読む
 ✍ 校内放送(お昼の放送)で読む。
 ✍ 高学年の子どもが1年生の教室に行って読む。
 ✍ クリアーファイルにいれて、教室に掲示する。
 ✍ お薦めの本の紹介を掲示する。
 ✍ 掲示する図工の絵に話をつける。

 上にあるように、「中身」を本の紹介にすると、読み書きのつながりもでき、かつ、読者は、いい本を知ることもできますから、一石二鳥です。

 アメリカの優れた実践者アトウェル氏の学校の子どもたちも、しっかり「出版」をしています。アトウェル氏の本★の中では、17 もの出版方法をリストしています。

 幸い、この方法をすべて日本語でリストしてくれているブログがあります。「あすこま」さんのブログの「これだけある、アトウェルの『出版』の方法」です。以下のURLからぜひご覧ください。

http://askoma.info/2015/06/06/1119

 その中には、「質問状、お礼状、不満、葉書、ファンレター等々の通信の形(手紙)にする」というのも、ありましたが、そういえば『ライティング・ワークショップ』(88ページ)でも、 「おばあさんに手紙を書く」というのも、ありました。

 実際に子どものニーズと一致する(ちょうど、御礼状をかかないといけない等)ようにするのも、いいと思います。

 それ以外にも、『ライティング・ワークショップ』(88ページ)には、「ベビー・シッターをアルバイトでする人のための具体的なアドバイス」みたいなのもありました。

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  「読者意識」はライティングだけでなくて、リーディングでも重要です。つまり「誰のために読むのか」という点で、読み方も変わってきます。「テストの作成 者のために読む」のであれば、当然、テスト向きの読み方が必要になります。そんな視点を教えてくれた本★★も含めて、近日中 のRWWW便りに書ければと思っています。


★ Nancie Atwell 著 In the Middle: A Lifetime Learning about Writing, Reading, and Adolescents, third edition (Heinemannより2015年).


★★ Patrick A. Allen著のConferring: The Keystone of Reader's Workshop (Stenhouse より
2009年)










2016年8月19日金曜日

再読の楽しみ(そして再読を授業に取り入れる価値)

 ケストナーの『飛ぶ教室』を、数日前に町の図書館から借りてきて読みました。小学校高学年?向きの名作のようですが、実は初めて読みました。返却する前に、自分の好きな場面をもう一度読んでから返却したくなり、2か所ほど読み返しました。

 

 好きな本全体を再読する時もそうだと思いますが、ある本の好きな場面を再読しているときも、すでにストーリーが分かっているので、余裕をもって読めますし、1回目に読んだときに気付かなかったところに気づくこともあります。


 すでに自分が好きなことも分かっているので、安心できる、楽しい時間です。


 しかも、楽しみながら、しっかりある種の「反復練習」をしているわけですから、言葉の使い方なども定着していきます。文脈のないところで無理やりさせられるドリル的な反復練習よりは、はるかによいと思います。

 

 「再読」あるいは「読み返す」ことは、リーディング・ワークショップの授業では、友達に本を紹介する時に、とりあげられるトピックかもしれません。ただ、このときは「単純に再読を楽しむ」というよりは、「本を紹介するという目的で再読する」という感じだと思います。

 

(→ 少し話は逸れますが、友達に本を紹介/推薦をするために本を読み直す場合、紹介する側は「大切なところを見極める」「要点を確認する」「インパクトのある引用できそうな文を見つける」などの、目的をもった読み方の練習がしっかりできます。紹介される側は、いい本を知ることができ、かつ読んでみて分からなくなったときに、紹介者に質問することもできます。また「話す・聞く」という活動とも組み合わせることもできますから、本の紹介という活動自体、大きな価値があると思います。『読書家の時間』第7章「友達同士で読む」では、本の紹介文、カード、口頭での推薦等々の方法で、日本の教室での実践が具体的に載っていますのでご参照ください。)

 

 「本の紹介の準備をする」というミニ・レッスンはあっても、「単純に再読を楽しむ」というミニ・レッスンはあまりないのかもしれません。こんなに楽しい時間なのに!と思うと、なんだかもったいない気がします。
 
 もちろん、教室の中には、再読を楽しむというミニ・レッスンがあってもなくても、同じ本を何度も読む子どもも当然います。




 とはいえ、教師としては、あえて再読を奨励するよりも、「たくさん、どんどん読めるように、自分に合った本をみつけて、新しい本を読もう」と教えたくなることもあります。特に学年の初めの頃は、たとえば20分など一定時間一人読みができるように励ますようなミニ・レッスンもよく行われますし、クラスの状態を見ながら、クラスみんなで合計で読むページの目標を決める先生もいます。

 

 子どもたちの読む「量」(時間、ページ)が増えてくることは、とても嬉しいことですし、大切です。またその過程で、読むジャンルが広がっていくこともあります。


 同時に、読む時間や読むページを増やすことが順調にいき始めた時期は、量を強調することから少し離れて、たまには「再読の楽しさ」を伝えるのも一案です。

 

 夏休みもあと少し、「夏の間に読みたかった本、読まなければいけない本」のリストをちょっと横において、本棚あるいは図書館で、好きな本、好きな箇所を読み返す。ペナック先生の「読者の権利」10箇条★にも入っている「読み返す権利」を、教師もたまには謳歌するのも悪くないかもしれません。何よりもゆったりした楽しい時間ですから。


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★ ペナック先生の「読者の権利10ヶ条」はRWWW便りでも何度か紹介しています。一番最近ですと今年5月27日のRWWW便りのなかで少しでてきています。ちなみにその翌週の6月3日のRWWW便りでは「作者の権利10か条」についてです。「作者の権利10か条」は知人のブログで発見し、ブログ作成者の了承を得てRWWW便りで紹介させていただきました。作者つまり書き手の権利も、とてもいいなと思います。

さて私は『飛ぶ教室』の好きな場面を読み返したあとに、訳者(若松宣子、偕成社文庫版です)による解説を読み、『ケストナ― ナチスに抵抗し続けた作家』という伝記が出版されていること、ケストナー自身が『ファービアン』という風刺小説を出ていることを知り、新たに読んでみたい本が増えました。


またケストナーを少し検索していて、大昔に読んだ記憶のある、『点子ちゃんとアントン』もケストナーが著者だったということを知りました。読み返すことで、次に読む本への広がりも出てきますし、いつか再読してみたい本も出てきます。


余談ですが、 『飛ぶ教室』を図書館で借りたときに、ハリー・ポッター好きの家族のために、ハリー・ポッターに出てくる動物の本も借りて帰りました。すると、その動物の話が話題になるのですが、私はほとんど覚えていません。加齢(?)かもしれませんが、これだけ忘れることができるものだ、となんだか新鮮な(?)気持ちです。動物の名前は、ある意味、「新出単語」なので、新出単語定着という効果も再読にはあるようにも思います。



2016年8月13日土曜日

「そこにないもの」をみる力


 小学生の頃、水戸サツヱ著『幸島のサル』(もともと実業之日本社から出ていましたが、現在は鉱脈社の「みやざき21世紀文庫」の一冊)という本を読んで、宮崎県の幸島に暮らすサルたちの観察エピソードをとても興味深く読んだ覚えがあります。独自の「文化」を創造していくサルたちのエピソードがたくさん書かれていました。死んだ新生児がミイラ化するまでずっと抱えて過ごす母ザルの姿に強く感動したことを覚えています。砂浜に撒かれた餌を海水で洗って食べるサルたちや、やはり餌の芋を海水で洗って味をつけて食べるサルたちの姿も描かれていました。著者は、ニホンザルの生態を描きながら、人間のことを書いているのだと考えた記憶が残っています。
 松沢哲郎『想像するちから―チンパンジーが教えてくれた人間の心―』(岩波書店、2011年)も、そういう一冊です。
 チンパンジーに、チンパンジーの似顔絵を与えると、彼らはその輪郭をなぞる、と書かれています。では、3歳2ヶ月の人間の子どもにまったく同じことをするとどうなるか。人間の子どもはその似顔絵にないものを描き入れるというのです。目を描き入れると。松沢さんは「たぶん、チンパンジーはそこにあるものを見ている。一方、人間はそこにないものを考える」(179ページ)と解釈しています。また、急性脊髄炎になって首から下が麻痺し、寝たきりになっても「めげた様子が全然ない」チンパンジー・レオのことを思い出しながら、松沢さんは次のような考察を展開します。

今ここの世界を生きているから、チンパンジーは絶望しない。「自分はどうなってしまうんだろう」とは考えない。たぶん、明日のことさえ思い煩ってはいないようだ。
 それに対して人間は容易に絶望してしまう。でも、絶望するのと同じ能力、その未来を想像するという能力があるから、人間は希望をもてる。どんな過酷な状況のなかでも、希望をもてる。
 人間とは何か。それは想像するちから。想像するちからを駆使して、希望をもてるのが人間だと思う。(180ページ)

 この「想像するちから」こそ、理解の源ではないでしょうか。松沢さんによれば、それは「絶望するのと同じ能力」でもあります。「そこにないもの」をみる「想像するちから」を持つゆえに、人間は、過去の学習体験から得た情報をすでにもっている知識つきあわせ、それを新しい知識に変えていくことができ、明確に書かれたり、話されたり、示されていないことを推測することができるのです。「想像するちから」があるから、詳しくイメージを描きながら文章や絵のなかに浸ることができるし、考えや解釈が変わる過程を捉えたり、自分の理解内容をチェックして、修正したりしながら意味をつくり出すことができるのでしょう。『理解するってどういうこと?』「資料A」に示されている「理解するための方法」はまさに「想像するちから」のもたらすものだと思います。
 もう一つ。チンパンジーと人間との「大きな違い」について、松沢さんが言っている次のようなことも心に残りました。

 チンパンジー流の教育がわかると、人間の特徴もはっきり見えてくる。
 一番目は、教えるということ。チンパンジーは教えない。
 でも、その「教える」の一歩手前に、人間は「手を添える」ということをする。これが二番目の特徴だ。人間だったら、ちょっと手を取って、「こうやって割るんだよ」とか、「この種がおいしいよ」「こっちの石のほうがいいんだよ」とか、さらにはもっとかすかに、手の位置を修正したり、指さし位置を示したりするだろう。チンパンジーはそれをしない。
 その「手を添える」ということの、さらに一歩手間に、これはほんとうに人間しかない三番目の特徴として、「認める」というものがある。具体的にいえば、「うなずく」「微笑む」「ほめる」。チンパンジーのお母さんは、そんなことはしない。チンパンジーはうなずかない。(140ページ)

 考えてみれば、理解することを教えるときに効果的な方法である、「考え聞かせをする」「モデルで示す」「実演してみせる」「カンファランスをする」「共有する」(『理解するってどういうこと?』「資料C」「理解することを教えるときに効果的な方法」)は「手を添える」ことの多彩なありようです。また、「認める」ということは、617日の「『共感』という宝物」で取り上げたフランス・デュ・ヴァールの『共感の時代へ』では、人間が生まれながらにして手に入れている一番大切な「道具」とは「他者とつながりを持ち、他者を理解し、相手の立場に立つ能力」としての「共感」能力だとされていましたが、松沢さんの指摘する「認める」は、その根にあたるものです。
 「認める」「手を添える」「教える」―――理解するとはどういうことかを子どもと一緒に考え、「そこにないもの」をみる力を育てていくために大切なことです。

2016年8月5日金曜日

書くことの日常化


 先週の書き込みとの関連で、一緒に『読書家の時間』を書いた都丸さんのブログから紹介します。

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『文章のみがき方』(辰野和男、岩波新書) にこんなことが書いてあった。
「日々、たゆまずに書く。そのうちにはきっとあなた自身の文章が形をなしてゆくはずです。毎日の素振りをせず、いくら野球の解説書を読んでも、野球がうまくなるはずはありません。日記は、野球でいう素振りでしょう。」 7ページより引用

「毎日書く」ことが大切だと思い、20111219日から日記を書き始めた。
2016
7月現在まで続いているので、書き続けることの効果もそれなりに実感している。
その日の欄をうめなくてはならないという義務感も少々。

日記に何を書いているかというと

・仕事のこと(進捗状況やふり返りなど)
・その日に発見したこと
・食べた物
・旅行の記録
・体重
・自分にとって大切な情報
・読んだ本/読みたい本
・失敗談(次にどう生かすか)
・感謝の言葉
・買った物
・家族のこと
・大切だと思った言葉
・野球やスキーのこと(趣味)
・作文教育と読書教育のこと
・社会の出来事

実感している日記の効果
・体重のコントロールができるようになった。
・「書くこと」への抵抗感が大幅に少なくなった。
 (小学生の頃は作文大嫌い、読書大好きな子どもであった。)
・読み返すことで、新たな気付きを得ることがある。
・「締め切りギリギリの働き方」が改善された(計画的に働けるようになった)
・自分の成長に気付き、前向きな気持ちになれる。
・自分を励ます格言集ができる。

先日、日記を読み返していたら「書くことの日常化」に関する大切なメモを発見。
「書くことの日常化」は自分自身にとても役立っている。

Nobody has time to write, but writers find the time to write.
Never a day without a line. The writing muscle must be exercised.
・大きな原稿は小さく区切って書く。
・「1日400字は書く」と決める。
・下書きと友達になる。
Writing is not apart from living.
You won't know what you have to say until you write.
Writing comes from paying attention.

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実感している日記の効果」を中心に、上を読んだら、「書くことの日常化」はとても大切なことと思えてきましたか?★

ちなみに、都丸さんは日記とアイディア用ノート(=作家ノート)の両方を書いています。

日記用とアイディア用ノートを常に持ち歩いています。日記のほうがよく読み直すので、大切だと判断したことはなるべく日記ノートに書くようにしています。日記ノートは、見開きの左側が1週間の記録、右側がメモできるページになっています。
日記は、その日の枠が決まっているので、書くべきことを選んで短く書く。
作家ノートは、アイディアや引用したい文章などを制限なく書く。最近だと短歌にはまっているので、短歌になりそうな気付きや短歌の下書きを書くことにも使っています。



★ そういう私も、15~30歳までの15年間、日記を毎日書き続けた経験があります。それ以降は、アイディア・ノートに切り替わりました。ここ7~8年ぐらいは、それもパソコンに転換しています。媒体が変わることは、イコール目的も変わっています。