2016年10月28日金曜日

選書能力をつけるには?


ある意味では、10月7日号(および9月2日号)の続きです。

もう一人別な読者からの質問をもらいました。

読書家の時間の一番大切なところは選書だと思います。そして、自分の読みたい本を選んで読み浸るところが要です。選べる力をつけてほしいのですが、どうしたらその力がつくのでしょう。子どもたちが気付いてさまざまなジャンル、ちょっと難しい本へ自然とシフトしていければよいのですが、そうならないとき、どうしたらよいのでしょうか?

まず、「読む力」がタイトルについた本は、かなりの数出版されていますが、選書力に言及している本に出あったことはありますか?
10月7日号で見たように、司書も含めて、教師の多くは良書を読ませれば、読む力は自然につくと思い込んでいるようです。
確かに、自分で良書を選べるような子は、すでに「優れた読み手が使っている理解のための方法」も身につけているので、上の質問に書かれているようなことは、教師や司書の助けもなくやれている可能性が大です。
しかし、そこまで行っていない(多くの?)子たちにとっては、まさに上記の質問の中身が大きな課題であり続けます。中でも、選書が。自分にピッタリあった本が見つからないということは、読み浸る環境に入れないことを意味し、さらには、「優れた読み手が使っている理解のための方法」を駆使して読み漁ることもできませんから。

具体的な方法としては、『「読む力」はこうしてつける』の中に、「自分にあった本を選ぶ」という項目立てで、8つのレッスンというかエクササイズが紹介されています。

その中から、「子どもたちが気付いてさまざまなジャンル、ちょっと難しい本へ自然とシフトしていければよいのですが・・・」の部分に応えるために、レッスン4の一部を紹介します。これは、「みんなで楽しく本選び」という方法で、Yellow Brick Roadsという本の103~106ページで紹介されていた事例です。




以上は、『「読む力」はこうしてつける』の179~180ページのコピーでした。
この最初の部分「教師が子ども達に読んでほしいと思う様々な本をクラスの人数分集めます」のところを、自然ではなく、かなり意図的にはなりますが、さまざまなジャンルや、ちょっと難しい本も交えて選んで集めればいいのです。そうすることで、自分だけでは広げられない読みの領域を、教師やクラスメイトの助けや刺激を借りながら、徐々に押し広げていけるようになります。

他にも、優れた読み手(校長先生? 保護者の親?)を教室に招き、通常、どんなものを読んでいるのか、そしてそれらをどのように選んでいるのかを紹介してもらう(これは、『リーディング・ワークショップ』の22~23ページで紹介されている方法)や、友だち同士で本を紹介し合う方法(『読書家の時間』の133~138ページ)、などがあります。人間、知っている人や友だちが興奮して読んでいるものは、トライしてみたくなるものです。

 いずれの場合も、いいモデルが鍵で、その結果として「自然とシフト」する場合が見られるようになることでしょう。リーディング・ワークショップは、大人や友だちの中にたくさんのいいモデルがあるのを分かっているので、それらを有効に活用しているわけです。(教科書に依存し過ぎる伝統的な国語の授業とは極に位置づけられるかもしれません。)


2016年10月22日土曜日

想像力を駆使する練習


 ケリー・ギャラガー(Kelly Gallagher)という著者の『Readicide』(Stenhouse, 2009、未邦訳)という本を読みました。Readicideという耳慣れないタイトルは、genocide(虐殺)やsuicide(自殺)やhomicide(殺人)と同じ-cideという言葉をreadにくっつけたもので、強いて訳せば「読殺」とでもなるでしょうか。物騒なタイトルに思われますが、副題には「学校がどのように読むことを殺しつつあるか、そしてあなたはそれについて何ができるのか(How Schools Are Killing Reading and What You Can Do About It)」とあります。過度に教えすぎることや、大切なことを教えずにすべてを子どもに任せてしまうような教え方が、「読殺」を招いているのが現在の米国における理解指導の現実であり、それを克服するために、本や文章をじっくりと読んで考え、理解するような学習が必要だというのが『Readicide(読殺)』という本の趣旨です。
 もちろん、米国の現状についての警鐘を鳴らす本ですから、日本の現状に直接言及しているわけではありません。むしろ、この本のなかでは、米国では「読殺」が着実に進行しているけれども、日本や中国・韓国・シンガポール等のアジアの国々はそうではないと書かれています。ですが、「学校がどのように読むことを殺しつつあるか、そしてあなたはそれについて何ができるのか」という副題の問いは米国だけのこととは思えないのです。
 一つだけ、この本に何度も引かれている言葉について書きます。それは言語哲学者ケネス・バークの本のなかに出てくる「想像力を駆使する練習(imaginative rehearsals)」という言葉です。
 彼女がバークの言葉を引きながら言っていることを、かなり意訳して言えば、次のようになります。

ケネス・バークは、若者が本を読まなければならないのは、本が現実世界への「想像力を駆使する練習」を提供するからだ、と言っている。バークが主張しているのは、本を読む子どもたちはただ単に物語を読んでいるのではなくて、読むことによって自分の生きる込み入った世界を理解する機会が彼らには与えられつつある、ということだ。

 子どもが本をじっくり読んで、考えて、発見するための「想像力を駆使する練習」にならないような授業とカリキュラムは、どのようなものであっても「readicide(読殺)」を招くというわけです。じっくり読んで、考える時間があるからこそ、読むこと、理解することの学びは子どもの人生とつながるというわけです。
Readicide(読殺)』は警鐘を鳴らしているだけではなく、読書体験を回復し、読み手を育てるためのたくさんの対策を示してもいます。それはジャミカの言葉への回答として書かれた『理解するってどういうこと?』の著者が探究したのと同根の問題意識をもったものに思われます。世界中の小さなジャミカを「読殺」しないようにするため私たちは何をすればよいのか、という問いを私たちが共有していかなくてはならないという問題意識です。
 タイトルにひかれて読み始めた、平川克美さんの『なにかのためではない、特別なこと―失われた「大人の哲学」を求めて―』(平凡社、2016年)には、「弱さ」を中心に据える社会の持つ強さについて、自らの経験にもとづいた魅力的な言葉がたくさんありましたが、その一つに次のようなものがあります。

学ぶとは何かを分かるために行うのではなく、分からないことを巡る旅のようなものであり、一巡りすると自分の目の前の風景が以前とは異なって見えるようになる。おそらくは、学ぶとはそういう経験のことなのだろう。(79ページ)

 平川さんのたどり着いた「学ぶとは何か」に対する回答も、おそらく「想像力を駆使する練習」を繰り返した成果です。平川さんの本は読書についてだけのものではありませんが、「想像力を駆使する練習」もまた「なにかのためでない、特別なこと」の一つなのだと思います。「読殺」を回避するためのすばらしい知恵がここにも示されています。

2016年10月14日金曜日

子どもの本をたくさん読む、3つの理由

 知人のブログで、司書さん二人に教室に来てもらって、本の紹介のデモンストレーションをしてもらったという、「息ぴったり、司書さんコンビのブックトーク」という書き込み★を読みました。

 子どもたちが実際に本の紹介をする前に、いろいろなモデルを見せる価値を感じながらも、私が印象に残ったのは、お手本のようなブックトークをした司書さんについての、次の一文でした。

  「実は一週間前にリクエストしたその日に、本を何冊も持ち帰られて検討してくださった」

  この時の本の紹介には、「類の異なる2冊以上の本をつなげて紹介する」という条件がついていたのでハードルが上がったとは思いますが、本のプロの司書さんでも、いい紹介をしようと思えば、それだけの努力がいるのだ、と改めて思いました。

 これを読んで、思い出したのが、アメリカでの中学校レベルの優れた実践者が、「詩集を1冊読んでも、子どもたちに紹介したい詩が1つしか見つからないこともある」というような内容のことを書いていたことです。
 司書さんでも、RWやWWの優れた実践者でも、教えている子どもたちが興味を持てそうな本や詩を紹介したり、見つけたりすることは、決して簡単なことではない! のです。

 今日のRWWW便りは、「子どもの本をたくさん読む3つの理由」ですが、まず一つ目は、「(1) 司書さんでも、優れた教師でも、いい本を紹介したり、興味の持てそうなものを見つけたりするのは、タイヘン!!」だからです。

 しかも、「詩集1冊から、一つの詩」みたいに、あまり効率よくできることではなさそうです。となると、「焦って集中して行っても、効果があがることではない」ので、普段から読むしかなさそうです。

(2)二つ目の理由は、「たくさん知っていることで、選書のカンファランスがより効果的にできる!」です。

  もちろん、子どもたち同士も、教室内でお互いに本のお薦めをしたりして、お互いに選書を助けていますから、選書を助けることは、司書や教師だけの仕事ではありません。

 SFに強い子ども、ある分野のノンフィクションに強い子どもなど、教室の中に、あるジャンル・作家の専門家?が出てこれば、その子どもたちに活躍してもらうこともできます。

 そういう子どもたちに活躍してもらうためにも、教師だって、「この作家ならまかせて」、「このジャンル・トピックならまかせて」を複数持っておきたい、と、なおさら思います。

(3)三つめは言うまでもなく、楽しい!です。読むこと自体もそうですし、本を通して子どもや本の好きな他の大人たちとつながる楽しさです。

 余談ですが、数日前に、市の図書館に 上橋菜穂子さんの『鹿の王』(上・下)を返却し、岡田淳さんの本を借りて帰宅しました。どちらの作家も、RWで知り合った先生に教えてもらいました。今日、教室に新たに持っていったのは、マイケル・モーパーゴの『世界で一番の贈りもの』の英語版(私は英語を教えているので)。この作家もRWやWWで知り合った人に教えてもらいました。RWに関わると、自分の読書生活は、確実に豊かになります。
★ 冒頭で紹介した「息ぴったり、司書さんコンビのブックトーク」のURLは以下です。 いいお手本を見せることの価値をしっかりと感じます。よく考えて計画された本の紹介なので、詳しくは以下のURLでぜひ!
  http://askoma.info/2016/09/17/3870 


2016年10月7日金曜日

教師/司書/親の役割は、良書を提供すること?

読者から、以下のようなメール(+質問)をもらいました。

今年も、読者家の時間というほどではないですが読むことを大切にしてすごしています。
一学期は、本を借りる時間をこまめにとり、全員で流れ星にお願いを読み、ペアでの読書もやり、もちろん読み聞かせも。

幸運なことに今年は読書教育に熱心な図書主任の先生と司書さんがいます。ステキ!なんですが先日こんな話がでました。

『モモ』とか『果てしない物語』とか読ませたい本がある。各学年でリストにしよう。これは納得。さらにそれを強制するのはどうかということになりました。(例えば2年で10冊クリアしようみたいな)ここは、まさにうーん(-_-;)です。個々の読書記録程度としてならなあ。

確かに読んでほしいものってあるんですけどね。でも、私にはアドバイスはできるけど強制はできない。

読んでほしいと思っているものを手に取れる、または手に取ってもらえる工夫は必要だと思います。少なくとも読む時間をとる。これすら大してしていないのに、読むようにはならないですよねぇ。
環境がものをいうと思うんですけど。

世の中で読書家の時間を実践している先生がたも、読ませたい本ってあると思うんです。でも高学年でいわゆる高学年向けの本を読めない子っているじゃないですか?そういう子たちは自分に合ったものを選んで読んでいるのではないんですか?という質問です。

◆◆

以下が、質問への回答です。

読書教育に熱心な図書主任の先生と司書さん が、学校に二人もいるのはラッキーですね。
でも、そういう人たちに限って、「読ませたい本」にこだわる部分も大きいので、困りもんでもあります。
読ませたい本(教科書も、まったく同じアプローチを取っています!)と、子どもたちが読める本や読みたい本の間には、大きなギャップがあります。
本来は、そこまで認識した上での図書主任の先生と司書さんでないと困るのですが、日本の国語関係者や図書関係者は「良書主義」にあまりにも毒されすぎています。

環境がものをいうと思うんですけど。
まったく、その通りです! それは、教室の中に充実した図書コーナーであり、そして読書家の時間の確保というか、実践だと思います。(一言でいえば、こういうことで、『リーディング・ワークショップ』の中には他にもたくさんの環境づくりの方法が紹介されています。何よりの環境は、良書を押し付けるようなことはしない本が大好きな教師の存在かもしれません。)

世の中で読書家の時間を実践している先生がたも、読ませたい本ってあると思うんです。でも高学年でいわゆる高学年向けの本を読めない子っているじゃないですか?そういう子たちは自分に合ったものを選んで読んでいるのではないんですか?という質問です。
まさに、その通りです。
で書いたテーマそのものです。

私は自分に合った本を選べるようにしてあげることこそ、一番大切なことだと思っています。
他は、付録みたいなものです。
(良書を紹介するのは、優先順位が100ある中で、95か96です!)
読書教育に熱心な図書主任の先生と司書さんも、世の中でいいと言われている本(要するに、良書)を子どもたちに読ませる努力をするのではなくて、一人ひとりの子どもに選書能力こそをつけてあげる方向に転換してほしいです。

どうでしょうか?
を同僚二人に見せてあげては。

ここ1週間ぐらいかけて、『リーディング・ワークショップ』を読み直していました。
何回読んでも、とてもいい本です。
読むことが好きになり、同時に読む力をつけ、生涯にわたって読み続ける読み手を育てる環境がここで描かれていると思います。

これを、二人に紹介してあげるのも、もう一つのアイディアかも。